
映画『シカゴ』は実話なのでしょうか?
結論から書くと、もとになっているのは、1924年に起きた別々の事件の2つの裁判です。
ロキシー・ハートのもとになったのはビューラ・アナン、ヴェルマのもとになったのはベルヴァ・ガートナーで、2人とも殺人の罪に問われ、どちらも無罪になりました。
2人の裁判をシカゴ・トリビューンの記者として取材したモーリン・ダラス・ワトキンスが、1926年に戯曲『シカゴ』を書きました。
その戯曲が1975年のミュージカルになり、2002年に映画になっています。
この記事では、映画から戯曲、そして1924年の裁判までをさかのぼり、どこまでが実際の出来事なのかを整理します。
なお、2026年9月に「シカゴ 実話」で検索したときは、検索の意図が別の作品である『シカゴ7裁判』(2020年)と割れていました。
結論:2人の実在の被告がもと。ただし戯曲は風刺として書かれた
| 項目 | 判定 | 根拠 |
|---|---|---|
| もとになった出来事 | 1924年の2つの裁判(別々の事件) | 英語版Wikipedia(戯曲の項目) |
| ロキシー・ハート | ビューラ・アナンがもと | 英語版Wikipedia(戯曲の項目) |
| ヴェルマ | ベルヴァ・ガートナーがもと | 英語版Wikipedia(戯曲の項目・本人の項目) |
| ビリー・フリン | 2人の弁護士を合わせた人物 | 英語版Wikipedia(戯曲の項目) |
映画のもとをさかのぼると、1926年の戯曲に行き着きます
日本語版Wikipediaによると、2002年の映画『シカゴ』は、監督がロブ・マーシャル、脚本がビル・コンドンで、原作はボブ・フォッシーとフレッド・エッブ、原作戯曲がモーリン・ダラス・ワトキンスです。
アメリカでの公開は2002年12月27日、日本では2003年4月19日です。
英語版Wikipediaによると、ワトキンスの戯曲『シカゴ』は1926年の作品で、1975年にジョン・カンダーとフレッド・エッブの曲でブロードウェイのミュージカルになり、1997年に再演されて、2002年に映画になりました。
戯曲はそれ以前にも、1927年に無声映画になり、1942年には、アナンがもとになった人物の名を取った『ロキシー・ハート』という作品にもなっています。
戯曲を書いたのは、裁判を取材した新聞記者です
英語版Wikipediaによると、モーリン・ダラス・ワトキンス(1896〜1969年)は、1924年の初めにシカゴ・トリビューンの記者になりました。
裁判所まわりの担当で、この経験が戯曲『シカゴ』の材料になりました。
同じ項目によると、ワトキンスが新聞社にいた間に書いた記事はおよそ50本で、事件や裁判のほかに葬儀の取材や女性の服装の記事も書いています。
アナンとガートナーは、シカゴの7つの日刊紙が何か月も報じたあと、別々の裁判でどちらも無罪になりました。
英語版Wikipediaは、ワトキンス自身は2人が有罪だと考えていた、と書いています。
戯曲は、イェール大学の演劇の学校に通っていたときの授業の課題として書かれました。
最初の題は「Brave Little Woman(勇敢な小さい女)」でした。
英語版Wikipediaは、この戯曲を、2つの無関係な1924年の裁判をもとにした風刺だと説明しています。
ロキシーのもとになった事件
英語版Wikipediaの戯曲の項目によると、ビューラ・アナンは23歳のときに、1924年4月3日のハリー・カルステッド殺害で罪に問われました。
同じ戯曲の項目によると、シカゴ・トリビューンは、アナンが「Hula Lou」というフォックストロットのレコードを2時間にわたって繰り返しかけたあと、夫に電話をして、言い寄ってきた男を殺したと伝えた、と報じています。
裁判は無罪で終わりました。
ただし無罪になった日付は、英語版Wikipediaの中で食い違っています。
戯曲の項目は1924年5月25日、アナン本人の項目は1925年5月25日としています。
この記事で当たった資料では、どちらが正しいかを決められませんでした。
アナンの夫アルバートは自動車修理工で、妻の弁護のために預金を使い果たしましたが、裁判の翌日に公然と見限られました。
英語版Wikipediaは、この夫が劇中のエイモス・ハートのもとになったと書いています。
殺されたカルステッドは、劇中のフレッド・ケイスリーのもとです。
ヴェルマのもとになった事件
英語版Wikipediaのガートナー本人の項目によると、ベルヴァ・ガートナーは3度の離婚を経たキャバレーの歌手で、ベル・ブラウンという芸名を使っていました。
本人の項目によると、1924年3月11日、恋人だったウォルター・ローを射殺したとされています。
戯曲の項目は、ローの遺体が3月12日にガートナーの乗り捨てられた車の運転席で見つかったとしています。
ジンの瓶と拳銃について、戯曲の項目は車の床、本人の項目は遺体のそばと書いています。
戯曲の項目によると、2人の警官が、女性が車に乗り込むのを見たあとに銃声を聞いたと証言しています。
本人の項目によると、ガートナーは、酔っていてローと車で移動していたことは認めたものの、何が起きたかは思い出せないと話しました。
戯曲の項目によると、裁判は1924年6月6日に無罪となっています。
弁護士ビリー・フリンには、もとになった人が2人います
英語版Wikipediaの戯曲の項目は、劇中の弁護士ビリー・フリンを、ウィリアム・スコット・スチュワートとW・W・オブライエンという2人の弁護士を合わせた人物だと書いています。
観て思ったこと
ここからは資料ではなく、私が2002年の映画を観た印象です。
『シカゴ』を観ていて印象に残るのは、殺人事件そのものよりも、それが娯楽として消費されていく社会の描き方でした。
華やかなミュージカル映画でありながら、報道や裁判が世間の注目を集める仕組みには妙な現実味があります。
観終わったあとに気になったのは登場人物のモデルというより、1920年代のシカゴで実際にどのような事件が人々の関心を集めていたのかという点でした。
裁判が一種の見世物のように扱われる描写には、現実の社会問題を思わせる部分がありました。
新聞報道が世論を左右する様子は、実際の有名事件を参考にしているような説得力がありました。
弁護士が法廷だけでなく世論へのアピールも重視する姿は、実在の事件でもありそうだと思わせます。
一方で物語の表現は非常に演劇的で、史実の再現というより実話を素材にした風刺作品という印象を受けました。
よくある質問
映画『シカゴ』の元ネタは何ですか?
1926年にモーリン・ダラス・ワトキンスが書いた戯曲『シカゴ』です。
その戯曲は、ワトキンスがシカゴ・トリビューンの記者として取材した、1924年の2つの裁判をもとにした風刺として書かれました。
ロキシーとヴェルマにはモデルがいますか?
英語版Wikipediaによると、ロキシー・ハートのもとはビューラ・アナン、ヴェルマのもとはベルヴァ・ガートナーです。
2人は別々の事件で殺人の罪に問われ、どちらも無罪になりました。
2人は本当に無罪になったのですか?
英語版Wikipediaは、どちらも無罪になったと書いています。
ガートナーは1924年6月6日です。
アナンの日付は、戯曲の項目が1924年5月25日、本人の項目が1925年5月25日で食い違っています。
映画とミュージカルは同じ話ですか?
2002年の映画は、1975年のブロードウェイのミュージカルを映画にしたものです。
そのミュージカルのもとが、1926年のワトキンスの戯曲です。
この記事は、映画『シカゴ』(2002年・アメリカ・監督 ロブ・マーシャル)について、英語版Wikipedia(「Chicago (play)」「Maurine Dallas Watkins」「Beulah Annan」「Belva Gaertner」)と日本語版Wikipedia(「シカゴ (2002年の映画)」)をもとに確認したものです。
1924年当時の新聞記事そのものは確認していません。
英語の記述は原文から訳しました。
検索結果については、2026年9月に検索して確かめた範囲です。
作品について私の記憶で書いたのは「観て思ったこと」の節だけで、それ以外の作品の説明は上に挙げた資料の記述によります。
私の記憶の濃さは、筋は追えるが細部は曖昧、という程度です。

