アウトブレイクは実話か|出発点は1989年のサルのウイルス

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映画『アウトブレイク』は実話なのでしょうか?

結論から書くと、映画の物語とモターバ・ウイルスは作り話です。
ただし、出発点には実際の出来事があります。
プロデューサーのアーノルド・コペルソンは、1989年にアメリカで輸入されたサルからエボラウイルスに近いウイルスが見つかった件を描いた、1992年10月の雑誌記事を読み、その映画化権を買いたいと考えていました。

映画は1995年のアメリカ映画で、監督はウォルフガング・ペーターゼン、主演はダスティン・ホフマンです。
日本では1995年4月29日に公開されました。

この記事では、1995年当時の新聞・雑誌の記事を、確認できた範囲の原文でたどり、映画と実際の出来事がどこでつながり、どこで分かれたのかを整理します。

結論:物語は作り話、出発点は1989年の実際の出来事

項目 判定 根拠
映画の物語とモターバ・ウイルス 作り話 ニューヨーク・タイムズ 1995年3月19日、英語版Wikipedia
企画の出発点 1989年のレストンの件を描いた1992年の雑誌記事 ニューヨーク・タイムズ、エンターテインメント・ウィークリー 1995年3月24日
『ホット・ゾーン』の映画化か 違う。映画化権は別の映画会社に渡った エンターテインメント・ウィークリー
レストンのウイルスで人に症状が出たか 抗体ができた人にもエボラの症状は出ていない アメリカ疾病予防管理センター(CDC)

出発点は、1992年10月の『ニューヨーカー』の記事です

1995年3月19日のニューヨーク・タイムズは、『アウトブレイク』を、アフリカから来た致死性のサルのウイルスがアメリカを脅かす「作り話のドラマ」と紹介しています(英語から訳出)。
そのうえで、筋書きに聞き覚えがあるのは、リチャード・プレストンのノンフィクション『ホット・ゾーン』が5か月前からベストセラーになっているからだ、と書いています。

同じ記事によると、コペルソンがこのウイルスのことを初めて知ったのは、1992年10月に雑誌『ニューヨーカー』に載ったプレストンの記事でした。
この記事がのちに『ホット・ゾーン』という本になります。
コペルソン本人は、記事を読んで「これはすごい」と思い、買いたくなったと話しています(英語から訳出)。

1995年3月24日のエンターテインメント・ウィークリーによると、プレストンの記事の題は「Crisis in the Hot Zone」です。
描かれていたのは、陸軍のウイルス学者の夫婦が、1989年にフィリピンからサルを介してアメリカに入り込んだ未知のウイルスを封じ込めようとした話でした。
舞台はメリーランド州の「バイオセーフティーレベル4」の実験室です。

映画化権は別の映画会社に渡り、『アウトブレイク』は作り話として作られました

エンターテインメント・ウィークリーの記事の副題は、ひとつの雑誌記事から殺人ウイルスの映画を2本作ろうとする競争、です。
プレストンの本の映画化権は20世紀フォックスのプロデューサー、リンダ・オブストの側に渡り、コペルソンの『アウトブレイク』はワーナー・ブラザースで作られました。

記事によると、コペルソンがプレストンに初めて電話をかけたのは1993年1月18日です。
電話の最後に、コペルソンは、プレストン抜きでもこの映画は作れるという弁護士の意見をもらっている、と告げたといいます。

権利がフォックスに渡った経緯については、2人の言い分が食い違っています。
プレストンは、コペルソンは本の権利の競り合いに加わって負けたと言い、コペルソンは、競り合いなどなかった、同じ額を出したのに断られた、と言っています。
プレストンは、同じ額の申し出はなかったと反論しています。

一方でコペルソンは、記事をそのまま映画にするつもりは初めからなかった、とも話しています。
権利が欲しかったのはプレストンに相談役として入ってもらうためで、記事は「映画ではなく、ただの背景だった」という言い方です(英語から訳出)。
理由として、記事は約100匹のサルがすべて殺される話で、始まりと中盤と結末がなかったから、と挙げています。

記事によると、コペルソンはプレストンに電話する1か月前に、救急医から脚本家になったローレンス・ドゥウォレットと、その相棒のロバート・ロイ・プールに脚本を頼んでいました。
映画の作り手たちは、事実は誰のものでもないので『ホット・ゾーン』に書かれた出来事をもとに作り話を作ってよい、とワーナーの弁護士から言われていた、と話しています。
最初の稿は完成した映画より『ホット・ゾーン』に近かったものの、ワーナーはもっと骨太なスリラーを求め、『羊たちの沈黙』の脚本家テッド・タリーを呼んだ、とも書かれています。

取材先も重なっていました。
両陣営ともCDCとメリーランド州のフォート・デトリックを訪ね、プレストンの記事の中心人物である陸軍のナンシー・ジャークス(Nancy Jaax)大佐にも会っています。

監督が選んだのは、作り話のほうでした

エンターテインメント・ウィークリーによると、1994年1月までに2本の脚本がそろい、ペーターゼン監督は、2本が同じ日に机に届いたと話しています。
ペーターゼンは『アウトブレイク』を選び、「作り話のほうが、よりよい物語を語れることもある」と話しています(英語から訳出)。

フォックス側の企画はリドリー・スコットが監督を引き受け、ロバート・レッドフォードとジョディ・フォスターの出演も決まりました。
しかし記事によれば、コペルソンが1994年7月13日にカリフォルニア州ユーリカの近くで撮影を始め、業界紙で製作開始を発表すると、フォックス側の企画はほとんどすぐに崩れ始めました。
伝えられるところではフォスターがその週のうちに降り、レッドフォードも1か月後に離れて、フォックスは企画を止めました。
ただしプレストン自身も、フォックス側が脚本をまとめられなかったことが、『アウトブレイク』と同じくらい大きな理由だったと認めています。

完成した『アウトブレイク』は、クレジット上の脚本家はドゥウォレットとプールの2人ですが、実際には8人の脚本家の手が入っている、と同じ記事は書いています。

1989年のレストンの件では、抗体ができた人にもエボラの症状は出ていません

プレストンの記事がもとになった本『ホット・ゾーン』は、英語版Wikipediaによると、バージニア州レストンで輸入されたサルからレストン・ウイルスが見つかった件を描いています。
この件について、CDCはエボラの流行の記録にこう書いています。
1989年、フィリピンから輸入されたサルによって、バージニア州レストン、ペンシルベニア州フィラデルフィア、テキサス州アリスのサルの飼育施設にレストン・ウイルスが持ち込まれた。4人に抗体ができたが、エボラの症状は出なかった。(英語から訳出)

同じ1989年、アメリカへサルを輸出していたフィリピンの施設でもサルが多く死に、働いていた3人に抗体ができましたが、やはり症状は出ていない、とCDCは書いています。

映画のモターバ・ウイルスは致死性の高い設定なので、実際のレストンの件で抗体ができた人たちにエボラの症状が出なかったこととは、大きく違います。
英語版Wikipediaの『ホット・ゾーン』の項目も、このときのウイルスは人には影響しない株だったと書いています。
日本語版Wikipediaによると、モターバ・ウイルスは高熱や全身からの出血などエボラ出血熱に似た症状を起こす設定で、名前は作中の村の近くを流れる川から取られています。

なお、映画の公開と同じ1995年には、ザイール(現在のコンゴ民主共和国)のキクウィトでエボラ出血熱が流行しました。
CDCの記録では、患者315人、死者254人です。

日本語版Wikipediaの「製作」の説明には、当時の記事と食い違う点があります

日本語版Wikipediaの『アウトブレイク』の項目は、コペルソンが元々『ホット・ゾーン』の映画化を進めていて、それはテッド・タリーの脚色、レッドフォードとフォスターの共演、スコット監督によるフォックスの企画だった、と書いています。
この部分には「要出典」の範囲指定が付いています。

食い違うのは、フォックスの企画の担い手と、テッド・タリーの立場です。
エンターテインメント・ウィークリーの1995年の記事では、レッドフォード、フォスター、スコットが集まったのはオブストが進めたフォックスの企画のほうで、コペルソンはその権利を得られなかった側です。
テッド・タリーは、ワーナーが『アウトブレイク』の脚本のために呼んだ人として出てきます。
2つの企画が混ざって書かれている可能性があります。

『ホット・ゾーン』は、のちにテレビドラマになりました

英語版Wikipediaによると、オブストは、フォックスの企画が止められたのは『アウトブレイク』の製作のせいだと述べています。
その後、オブストは『ホット・ゾーン』をナショナル ジオグラフィックのドラマシリーズとして実現させ、2019年5月に放送されました。

本の日本語訳は、国立国会図書館の記録によると、1994年に飛鳥新社から高見浩訳で出ています。
映画が日本で公開される前の年です。

観て思ったこと

ここからは資料ではなく、私が1995年の映画を観た印象です。

『アウトブレイク』はパニック映画としての面白さを持ちながらも、感染症が社会に与える影響を比較的現実的に描こうとしている印象が残っています。
だからこそ観終わったあとには、架空のウイルスそのものよりも、どこまでが実際の感染症事件や研究事例を参考にしているのかが気になりました。
実話映画だと思って観る作品ではありませんが、現実との接点を確かめたくなる作品でした。

感染症の発生から対応までの流れには、現実の危機管理を思わせる部分がありました。
防護服や隔離施設、研究所の描写には専門的な雰囲気があり、実際の事例を参考にしているように見えました。
感染経路の追跡や疫学調査の描写も、単なるパニック映画より現実寄りに感じられました。
軍や政府機関が関与する展開は誇張もあるように見えましたが、危機発生時の組織的な対応という点には説得力がありました。

よくある質問

アウトブレイクは実話ですか?

物語とモターバ・ウイルスは作り話です。
ただし、プロデューサーは、1989年にアメリカで輸入されたサルからエボラウイルスに近いウイルスが見つかった件を描いた雑誌記事でこのウイルスを初めて知り、その映画化権を買いたいと考えていました。
権利は別の映画会社に渡り、映画は作り話として作られました。

アウトブレイクのモデルになったものは何ですか?

1989年にフィリピンから輸入されたサルがアメリカにレストン・ウイルスを持ち込んだ出来事と、それを描いたリチャード・プレストンの1992年の雑誌記事です。
記事はのちに本『ホット・ゾーン』になりましたが、映画はその映画化ではありません。

映画の感染源は何ですか?

作中では、アフリカからアメリカに密輸された1匹のサルがウイルスを持っています。
英語版Wikipediaによると、サルの種類は white-faced capuchin(ノドジロオマキザル)です。
実際のレストンの件でウイルスを持ち込んだのは、フィリピンから輸入されたサルでした。

モターバ・ウイルスは実在しますか?

実在しません。
エボラ出血熱に似た症状を起こす、映画のための架空のウイルスです。

この記事は、映画『アウトブレイク』(1995年・アメリカ・監督 ウォルフガング・ペーターゼン)について、エンターテインメント・ウィークリー1995年3月24日号の記事(インターネット・アーカイブの保存版)、ニューヨーク・タイムズ1995年3月19日の記事、CDCのエボラ流行の記録、日本語版・英語版Wikipedia、国立国会図書館の書誌をもとに確認したものです。
ニューヨーク・タイムズの記事は、有料部分より前の冒頭だけを確認しています。
英語の発言は原文から訳しました。
作品について私の記憶で書いたのは「観て思ったこと」の節だけで、それ以外の作品の説明は上に挙げた資料の記述によります。
私の記憶の濃さは、筋は追えるが細部は曖昧、という程度です。

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