アポカリプトは実話か|監修の考古学者が創作と認めた場面

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映画『アポカリプト』は実話なのでしょうか?

マヤ語だけで進み、俳優は無名で、公開時には暴力描写の激しさが批判された作品です。
だからこそ「本当にあったことなのか」と検索する人が多いのだと思います。

結論から書くと、特定の人物や事件を元にした実話ではありません。

物語は先に作られ、舞台としてマヤが後から選ばれました。
監督のメル・ギブソン本人が、撮影を前にした記者会見でそう話しています。

ただし、それで終わる話でもありません。
制作側は考古学者を監修に付け、細部は本物に寄せています。
その監修者が、裏づけは示さないまま「完全にメルの筋書き」だと認めた場面と、「推測」だと言った場面があります。

この記事では、監督と脚本家の発言、監修者の証言、そして公開当時にマヤ研究者たちが指摘した点を、出典まで戻して整理します。
結末に触れる箇所があります。

結論:作り話の骨に、本物の細部を貼った映画

論点 判定 根拠
モデルになった人物や事件 ない 監督「話の多くは、僕がただ作った」(Los Angeles Times 2005年10月)
捕虜を矢の的にする場面 監修者も断言せず 監修者「完全にメルの筋書き」/考古学者「聞いたことがない」(Los Angeles Times 2006年12月)
首のない遺体で埋まった大穴 証拠がない 監修者「推測」(Los Angeles Times)/考古学者「証拠はない」(Washington Post)
庶民を村から狩って生贄にする 研究と食い違う 生贄の対象は敵対勢力のエリート(Washington Post・National Geographic)
石台に反らせて心臓を抜く、数百人規模の生贄 アステカに近い 柱状の石台はマヤでは未知・大規模を裏づけるデータなし(National Geographic)
都市の建築と壁画 時代が混ざっている 古典期の主ピラミッドを後古典期の設定に(Los Angeles Times・監修者)
日食に驚くマヤ人 研究と食い違う マヤは日食を観測していた(San Diego Union-Tribune・National Geographic)
入れ墨・装飾・織物・武器 おおむね本物 批判した学者も評価している(Washington Post)

順番に見ていきます。

物語は先に作り、舞台は後から探した

この映画に、モデルになった実在の人物はいません。
監督自身が、物語を先に作ってから歴史的な舞台を決めた、と語っています。

2005年10月、撮影開始を翌月に控えたメキシコ・ベラクルスでの記者会見を、Los Angeles Timesが伝えています。
ギブソンは、共同脚本のファルハド・サフィニアと先に筋書きを作り、歴史的な設定はその後で考えたと話しました。

話の多くは、僕がただ作ったんだ。それで、おかしなことに、歴史家や考古学者に確かめてみたら、そこまで外れてはいなかった
メル・ギブソン/Los Angeles Times「Mel Gibson's latest passion: Maya culture」2005年10月29日(原文英語から訳出)

原文は「A lot of it, storywise, I just made up」です。
同じ会見で、この映画を「神話的な規模のアクション・アドベンチャー」と呼んでいます。

脚本家のサフィニアも、出発点は「追跡劇」だったと明かしています。
公開直後にHollywood Reporterが配信し、Washington Postに載ったインタビューです。

僕たちは、追跡アクションというジャンルにとくに長い時間を割いた。その会話が、実質的に『アポカリプト』の骨格になった
ファルハド・サフィニア/Washington Post「With help from a friend, Mel cut to the chase」2006年12月15日(原文英語から訳出)

追跡劇を「命がけで走る一人の男」という最も強烈な形まで削ぎ落としました。
その舞台には、アステカではなくマヤが選ばれました。
高度な文明と急速な没落の両方を持っていたからだ、とサフィニアは説明しています。

追跡そのものが核だったことは、ギブソンが日本の取材でも語っています。

今回、オレが目指したのは贅肉のない映画。その“痛さ”というのはオレたち人間がもっている恐怖心の表現のひとつなんだ。恐怖心は人間の行動のオリジン。オレは、その恐怖心を原始的なランニングを使って描きたかった
メル・ギブソン/映画.com「メル・ギブソン映画はなぜ“痛い”のか?」(取材・渡辺麻紀)

制作側は「アクション・アドベンチャー」「フィクション」と説明しています。
作り手は最初から、創作として設計していました。

監修者が「メルの筋書き」「推測」と認めた2つの場面

それでも細部は本物に寄せてあります。
制作側は複数の考古学者に助言を求め、その中心がマヤ考古学者のリチャード・D・ハンセン(アイダホ州立大学)でした。

そのハンセンが、公開直後にLos Angeles Timesの取材で、創作と史実の境目を率直に話しています。
セット・化粧・衣装は「極限まで正確」と評価したうえで、こう続けました。

何よりもまず、これはハリウッドだ
リチャード・D・ハンセン/Los Angeles Times「In 'Apocalypto,' fact and fiction play hide and seek」2006年12月9日(Robert W. Welkos・原文英語から訳出)

捕虜を矢の的にする場面

捕虜たちが走らされ、戦士が槍と矢で狙います。
物語が追跡劇に変わる、この映画の要の場面です。

ハンセンは、この競技が実際にあったとは断言していません。

こうした人々を的にするというのは、十分にありうることだ。実際にあったとも言えないし、なかったとも言えない。ギブソンは、追っ手が主人公を追いかける理由を作りたかった。あれは完全にメルの筋書きだ。ただ、十分に理にかなってはいる
リチャード・D・ハンセン/同上(原文英語から訳出)

原文は「That was entirely Mel's scenario — but it's highly reasonable」です。
同じ記事で、カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校の考古学者ジム・ブレイディは、捕虜を的にする競技をマヤが行ったという話は聞いたことがない、と述べています。
マヤで知られている競技は、ゴムの球と石の輪を使う球技だ、というのがブレイディの説明です。

首のない遺体で埋まった大穴

主人公が逃げる途中で出くわす、おびただしい遺体の穴があります。
ハンセンは、この穴が存在したかどうかは「推測」だと言いました。

あそこでギブソンがやろうとしたのは、その恐ろしさを表現することだけだ
リチャード・D・ハンセン/同上(原文英語から訳出)

ほかの研究者は、もっとはっきり言っています。
カリフォルニア大学リバーサイド校のカール・タウベはWashington Postに、「集団墓地の証拠はない」と答えました。
原文は「We have no evidence of mass graves」です。

生贄は本当にあった。ただし映画とは形が違う

マヤに生贄があったこと自体は、研究者も否定していません。
違うのは、誰を、どれだけ、どうやって、という部分です。

誰を:庶民ではなく、敵のエリート

映画では、都市の戦士が森の村を襲い、住民を捕らえて連れていきます。

ブラウン大学の人類学者スティーヴン・ヒューストンは、Washington Postにこう語りました。

彼らは、普通の人々をかき集めて生贄にするようなことはしなかった
スティーヴン・ヒューストン/Washington Post「Culture Shocker」2006年12月9日(William Booth・原文英語から訳出)

National Geographicの取材に答えたマヤ研究者ザカリー・フルビーも同じ見方です。
捕虜はおおむね都市国家どうしの戦争で捕らえられたと見られ、マヤが欲したのは敵対勢力のエリートだった、と述べています。
辺境から罪のない男女を集めて奴隷に売ったり生贄にしたりした証拠は無い、とも言っています。

どれだけ、どうやって:大量の生贄はアステカの話

映画の神殿では、捕虜が列を作って次々に心臓を抜かれ、首が階段を転がり落ちます。

フルビーによれば、柱のような石に捕虜を反らせて心臓を抜く様式は、マヤ地域では知られていません。
メキシコ中央部のメシカ(アステカ系)が行っていたとされるものに似ている、というのがフルビーの見立てです。
大規模な生贄を裏づけるデータもマヤには無い、と続けています。

Washington Postは、映画はときにアステカとマヤを混同しているように見える、と書いています。
そのうえで、タウベの「アステカがその規模の殺戮をしたことは分かっている」という言葉を続けています。

ただし、時代による違いはあります。
監修者ハンセンは、映画の舞台である後古典期にはアステカの影響が強く、生贄の追求がマヤ地域の一部に波及していたと述べています(Archaeology誌 2007年1・2月号)。

方法そのものは多様でした。
Washington Postが挙げるマヤの生贄の方法は、斬首、心臓摘出、四肢の切断、絞首、腹裂き、皮剥ぎ、頭蓋の割断、火刑です。

テキサス大学のジュリア・ガーンジーは、Austin American-Statesmanの取材で、集団で生贄にしたことを示唆する証拠はある、としたうえで、それは厳粛な宗教行為として行われただろうと述べています。
遺体を神殿の階段から転がした可能性はマヤの図像からも示唆される、とも認めました。
そのうえで、階段の下で網で遺体を受け止める男たちについては「証拠はない」と言っています。

時代が混ざっている:900年頃の崩壊と、1500年代の接触

史実の面で研究者が繰り返し指摘したのは、映画の中で時代が混ざっていることです。

マヤ文明の大きな謎は、西暦900年頃に古典期の大都市が相次いで放棄されたことです。
Washington Postは、原因として干ばつ、森林伐採、疫病、人口過剰、戦争、社会の混乱が考えられている、と書いています。
映画の冒頭には、歴史家ウィル・デュラントの言葉が掲げられます。
偉大な文明は、内側から自らを滅ぼすまで、外側から征服されることはないという趣旨です。

ところが、映画の物語は900年頃ではなく、スペイン人が海岸に現れる1500年代初めに置かれています。

Washington Postは、映画は出来事がいつ起きたのか混乱しているように見える、と研究者たちが指摘していると書きました。
1500年代にマヤを滅ぼしたのは内側の腐敗ではなく、疫病を持ち込み、数十年かけて制圧したスペイン人だった、というのが同紙の説明です。

National Geographicの取材でフルビーは、こう整理しています。

スペイン人が到着するころには、『アポカリプト』が描くような、古典期の崩壊に伴う社会問題は存在していなかった
ザカリー・フルビー/National Geographic「“Apocalypto” Tortures the Facts, Expert Says」(原文英語から訳出)

建築と歴史で見ると、約400年の開きがある、というのがフルビーの計算です。
なお映画の中で年代は示されない、とNational Geographicは書いています。

ピラミッドと壁画も、別の時代の寄せ集め

Los Angeles Timesによれば、生贄の場となる主ピラミッドは古典期のものです。
ハンセン自身も、後古典期にはあの大きさと威容に見合う建物は無かったと認めています。
脚本家サフィニアは、建築を混ぜたのは見た目のためだと説明しました。

ガーンジーは、ティカル風の古典期建築(800年頃)、プウク様式(1000〜1100年頃)、エル・ミラドール(紀元前後)が同居している、と具体的に挙げています。
テキサスとデラウェアほど違う地域だ、という言い方です。

壁画については、さらに踏み込んだ指摘があります。
ガーンジーによれば、通路の壁画はサン・バルトロ遺跡で発見されて間もない壁画を写したもので、一部は正確な複製です。
ただし、血の滴る生首を掲げる人物は、元の壁画に存在しません。
Washington Postも、ボナンパクの壁画で戦士の手に無かったはずの心臓が描き足されている、と書いています。

日食、狩猟の村、都市に驚く人々

細かい点でも、研究者はいくつか首をかしげています。

日食に人々が畏れおののき、神官が儀式を打ち切ります。
San Diego Union-Tribuneは、ニューヨーク州立大学オールバニ校に着任したばかりのエドガー・マルティン・デル・カンポの指摘として、マヤ人は映画のように日食に畏れおののいたりはしなかった、彼らは初期の天文学者だった、と伝えています。
National Geographicのフルビーも、マヤが日食を観測していたことを示唆する象形文字がある、と補足しています。

主人公は森で狩りをして暮らす村の住人です。
フルビーは、古典期のマヤは農耕民で、野生の獲物は食事の比較的小さな割合だったとして、農耕をしないマヤの集団は「ほぼありえない」と言い切っています。

捕虜たちは、初めて見る都市に圧倒されます。
これも、マヤ世界ではどこにいてもピラミッドから20キロと離れていなかった、というのがフルビーの指摘です。

それでも「本物」と評価された部分

批判した研究者たちも、見た目の細部はおおむね本物だと認めています。

Washington Postは、批判の一方で、入れ墨、顔の瘢痕装飾、色鮮やかな織物、武器、耳飾りなどは「おおむね正しい」と学者たちが評価している、と書いています。

ハンセンはArchaeology誌で、自分の仕事をこう説明しました。

土器と図像を何時間もかけて調べ、入れ墨を探した。瘢痕装飾と入れ墨はすべて調べたもので、翡翠を象嵌した歯も入っているし、耳飾りも入っている
リチャード・D・ハンセン/Archaeology誌「Mel Gibson's Maya」2007年1・2月号(原文英語から訳出)

台詞は全編がユカテコ・マヤ語です。
ギブソンは2005年の会見で、この映画がマヤの言語を「もう一度かっこいいものにする」ことを願う、と話していました。
ただし、話されているのは現代のユカテコ語で、古代マヤの言語そのものではない、という指摘もあります(USA Today 2006年7月18日・ペンシルベニア州立大学のデイヴィッド・ウェブスター)。

「野蛮なマヤ」という描き方への批判

史実の細部よりも重く受け止められたのは、マヤを残虐な民族として描いたことです。

マイアミ大学の人類学者トレイシー・アードレンは、Archaeology誌に寄せた文章でこう書きました。

ギブソンは、ヨーロッパ人が来るずっと前からマヤの人々は互いに残虐だった、だから彼らは救済に値した、いや救済を必要としていたのだ、という侮辱的で人種差別的な考えを、大予算の総天然色で再演している
トレイシー・アードレン/Archaeology誌「Is “Apocalypto” Pornography?」2006年12月5日(原文英語から訳出)

グアテマラでは、公開前に予告編だけを見た先住民の活動家や団体の代表が批判しました。
Reutersは、人権活動家ルシオ・ヤションの「監督はマヤ人が野蛮だと言っている」という言葉を伝えています。
グアテマラでは人口の半分以上がマヤの子孫です。

監修者ハンセンは、Washington Postに映画を擁護しつつ、こう付け加えています。
映画はマヤが「サディスティックな連中だという感じ」を与える、現代のマヤの人々がどう受け止めるか少し心配だ、と話しています。

ギブソン本人は、Washington Postの取材を断っています。
各紙の取材に答えているのは脚本家と監修者です。
サフィニアはLos Angeles Timesに、史実と娯楽のバランスについて「この映画は全面的に娯楽のスリルライドで、最初からそのように設計された。フィクション作品だ」と語っています。
原文は「It is a work of fiction」です。
暴力描写については、現実は映画よりはるかに激しかった、とも述べています。

よくある質問

アポカリプトは実話ですか?

特定の人物や事件を元にした実話ではありません。
監督のメル・ギブソンは、物語の多くを自分で作ってから歴史家や考古学者に確かめた、と2005年の会見で話しています。
ただし衣装・装飾・道具などの細部は、マヤ考古学者の監修で本物に寄せてあります。

舞台はどこで、いつの時代ですか?

ユカタン半島のマヤ地域で、スペイン人が海岸に現れる1500年代初めの設定です。
映画の中で年代は示されません。
ただし主ピラミッドは900年頃までの古典期のもので、ほかにも別の時代・地域の建築が混ざっていると研究者は指摘しています。

マヤ文明に生贄は本当にありましたか?

ありました。
斬首や心臓摘出など複数の方法が挙げられています。
ただし対象は主に敵対勢力のエリートで、映画のような規模で庶民を生贄にしたことを裏づけるデータは無い、というのがフルビーやタウベの見解です。
大量の生贄はアステカの記録に見られるものです。

監修に付いた学者は誰ですか?

リチャード・D・ハンセンです。
アイダホ州立大学の考古学者で、当時、グアテマラのミラドール盆地でマヤ遺跡の調査を率いていました。
ギブソンは2006年当時、ハンセンの調査団体の理事を務めていました。

「アポカリプト」とはどういう意味ですか?

Los Angeles Timesは、ギリシャ語で「新しい始まり」を意味する語だと書いています。
ギブソンは2005年の会見で、既存の秩序が新しい秩序に置き換わることを含意する、と説明しました。

元になった映画はありますか?

実話ではありませんが、日本語版Wikipediaは、映画評論家の町山智浩が1966年の『裸のジャングル』(コーネル・ワイルド監督)との構成の類似を指摘している、と伝えています。
この原発言は確認できていません。
なお人類学者のアードレンも、追跡の部分はこの映画の完全な派生だと聞いている、と書いています。

この記事は、映画『アポカリプト』(2006年・139分・監督メル・ギブソン)について、制作側の発言と研究者の指摘を出典まで戻して確認したものです。
英文記事からの訳は筆者によるもので、主要な箇所は原文を併記しました。
「証拠がない」「裏づけなし」と書いた箇所は、引用した研究者や監修者がそう述べているという意味であり、一次史料にあたったものではありません。
DVD収録の音声解説の内容には触れていません。
確認できていないためです。

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