スワロウテイルは実話か|円都の街は全てセットと監督が語った

※この記事にはプロモーションが含まれています。

映画『スワロウテイル』は実話なのでしょうか?

結論から書くと、実話ではありません。
舞台になる「円都(イェンタウン)」という街は実在せず、街と通りはすべてセットとして作られたと監督が話しています。
「円都」も「円盗」も、監督の岩井俊二が作った言葉だと、東京国際映画祭の記事は書いています。

ただし、この映画が下敷きにした時代のほうは史実です。
円が対ドルで当時の最高値をつけた時期も、在留期間を過ぎて滞在する外国人が大勢いたことも、数字で確かめられます。
監督は、未来を予想して描いたのではなく、当時あったものを拾い集めて作ったのだと語っています。

この記事では、映画の設定を一つずつ、監督本人の言葉と公的な資料に戻して仕分けます。
作品の公開は1996年9月14日、上映時間は149分、原作と脚本と監督はいずれも岩井俊二です。

結論:街は架空、時代は史実

映画の要素 判定 根拠
円都という街 架空。実在しない 監督本人(シネマトゥデイ 2016年)
「円都」「円盗」という言葉 監督の造語と書かれている 東京国際映画祭の記事
街と通りの風景 すべてオープンセット 監督本人
冒頭の川辺 神奈川県の新子安で撮影 監督本人
円が世界で一番強かった時代 対ドルで当時の最高値をつけた時期は実際にあった 1995年4月19日に1ドル79円75銭
日本に住み着いた移民たち 在留期間を過ぎて滞在する外国人が大勢いたことは史実 1993年の不法残留者29万8,646人(警察白書)
磁気データを使った偽札づくり 現実の事件としては確認できない —
原作 監督自身が書いた小説 監督本人/日本語版Wikipedia(文庫版あとがきを出典に記述)

順番に見ていきます。

原作は、監督が自分で書いた小説です

この映画には原作があります。
ただし他人の作品ではなく、監督の岩井俊二が自分で書いた小説です。

東京国際映画祭で4Kデジタルリマスター版が上映されたとき、監督はトークセッションでこの企画の出発点を話しています。
その前に撮った『FRIED DRAGON FISH』について、「ハードボイルド作品だったんですが、その登場人物たちでPart2を作ろう!というプランがあって、やっていくうちにいろいろあって、主人公も変わり、気がついたらこういう話になっていたという感じです」と語っています。
別の作品の続編として始まり、作っているうちに別の話になった、という経緯です。

企画の初稿をいつ書いたかについても、本人の発言があります。
リアルサウンドのインタビュー(2026年8月20日)で、「テレビドラマ『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』が終った1993年の9月くらいからだいたい2カ月で初稿を書いたんです」と述べ、続けて「だから実は『Love Letter』の話が来る前に考え始めていた企画になります」と話しています。
『Love Letter』(1995年)は、本人が同じインタビューで第一作と呼んでいる作品です。
それより前から頭にあった企画だということになります。

小説は角川書店から1996年に単行本が出て、1999年3月に角川文庫に入りました。
日本語版Wikipediaは、文庫版のあとがき(240〜244ページ)を出典に、この小説を「本編撮影前に岩井俊二本人が『FRIED DRAGON FISH』の続編として執筆し、プロデューサーに手渡された原案的小説」だと書いています。
あとがきそのものは確認できていませんが、別作品の続編から始まった、という点は、上のトークセッションでの本人の発言と食い違いません。

実在の事件を映画化したのではありません。
日本語版Wikipediaの記述どおりなら、監督自身の書いた原案の小説が先にあった、という順番です。

円都の街は、すべてセットとして作られました

検索すると、円都のセットはお台場に建てられた、と書いているページが出てきます。
ただし、そう書いている検索上位のページ(地ムービー)は、出典を示していません。
監督本人が撮影の経緯を話した記事が残っているので、そちらを見ます。

シネマトゥデイが2016年10月17日に公開した、岩井俊二への取材記事です。
取材と文はイソガイマサトで、監督が自作のロケ地を振り返る形式になっています。
そこで監督は「この作品では、アジアの架空の街「円都(イェンタウン)」を作りたかったんです。だから最初は海外で撮る予定で、実際に現地でロケハンも進めていました」と話しています。

方針が変わったのは撮影の直前でした。
監督によると、美術監督の種田陽平から、このままだと現場が破綻すると言われ、都内で撮ろうと持ちかけられたそうです。
そのときの反応を、監督はこう振り返っています。
「最初は「何言ってるの? 不可能だよ。そのために中国まで来ているんじゃない?」って思いましたよ」。
この一言から、当時はロケハンで中国にいたことがうかがえます。

そして、日本で撮ることになった結果がこうなりました。
「横浜の隣にある新子安あたりには、アジアっぽい風景がまだ残っています。川が流れていて、そこにボートが浮き、川辺に家屋が立ち並んでいるその景色は、ちょっとアジアっぽい」。
続けて、「だから、アゲハ(伊藤歩)が同郷の人々と別れる冒頭のシーンはここで撮ったんですけど、逆に新子安のほかにはアジアを感じさせる街はどこにもなかったので、街や通りなど全てオープンセットで作りました」と話しています。

セットを建てた場所

では、そのセットはどこに建てられたのでしょうか。
美術監督の種田陽平が、2022年11月1日の第35回東京国際映画祭のトークセッションで話しています。
記事にしたのはSTORY STUDYで、構成と文は吉田大助です。
そこで種田は「セットを建てた場所は豊洲、新浦安、鶴見など数カ所ありました」と述べています。
続けて、当時は東京にビルやマンションが建ち始めた時期で、セットの背後に現実の風景が映り込んでしまい、それが面白かった、という趣旨のことを話しています。

種田が挙げた場所に、お台場は入っていません。
お台場だとする記述の出典は、確認できた範囲では見つかっていません。

なお、日本語版Wikipediaには、種田が押井守との対話で、架空の東京をつくる際に参考になった映画は唯一『パトレイバー』だったと明かした、と書かれています。
ただし、その対談が載った書名も掲載誌も発行年も、確認できた資料には書かれていませんでした。
元をたどれないので、ここでは「そう言われている」以上のことは書けません。

「円都」と「円盗」は監督が作った言葉です

この映画でいちばん耳に残るのが、同じ「イェンタウン」という音を持つ2つの言葉です。
街の名前の「円都」と、日本人が移民を蔑んで呼ぶ「円盗」。

東京国際映画祭の公式サイトに載ったトークセッションの記事は、この2語をどちらも岩井の造語だと書いています。
監督自身は、その言葉に込めたものをこう語っています。
「当時はヘイトとかレイシズムといったワードはなかったけど、現象としてはあって、(日本人と移民が)お互いに罵り合う言葉が同じなのがアイロニックで結局、自分に石を投げているような感じになっていいかなと思った」。

円が当時の最高値をつけたのは1995年です

映画は、円が世界で一番強かった頃、という設定から始まります。
対ドルで見ると、円が当時の最高値をつけた時期は実際にありました。

1995年4月19日、東京外国為替市場で1ドル79円75銭を記録しました。
1973年に変動相場制になってからの最高値です。
この水準は16年間破られず、2011年3月に更新されました。
2011年3月の日本経済新聞は、「円最高値、79円75銭を突破 16年ぶりに更新」という見出しでこれを伝えています。

監督自身も、この数字に触れています。
キネマ旬報WEBに2026年6月30日に載ったコメントで、「この映画が作られた頃、1995年には1ドル=79円に達し、円は世界でも屈指の通貨でした」と書き、続けて「そんな時代を御伽話のように描いた本作には、自分なりの映画への憧れが山ほど詰まっていました」と述べています。

御伽話のように描いた、という言い方を本人がしています。
実話として作ったのではない、と読める箇所です。

円高は、映画づくりそのものにも関わっていました。
監督はリアルサウンドのインタビューで、「製作当時は円が90円台を推移している最も円高の時代だったので、おかげさまでロサンゼルスで編集ができました」と話しています。
東京国際映画祭の記事も、編集でロサンゼルスに行ったときのレートを、岩井の記憶として1ドル80〜90円と書いています。

在留期間を過ぎて滞在する外国人は、1993年に30万人近くいました

映画が描くのは、一攫千金を求めて日本に来た移民たちです。
当時の日本に、在留期間を過ぎて滞在する外国人が大勢いたことは、公的な統計で確かめられます。

平成18年版の警察白書は、不法残留者数について「5年の調査時(29万8,646人)をピークに毎年減少」と書いています。
1993年(平成5年)の29万8,646人が過去最多で、そこから減り続けたということです。
映画の公開は1996年なので、ピークの3年後にあたります。

背景について、『跨境:日本語文学研究』に載った大場健司の論文(2022年)は、1990年に改定施行された入管法に触れています。
この体制では原則として単純労働者を受け入れないことになったため、非正規に滞在する外国人労働者が増えることになった、という指摘です。

現在はどうかというと、出入国在留管理庁の発表で令和7年7月1日現在7万1,229人です。
国籍・地域別の上位はベトナム1万3,070人、タイ1万924人、韓国1万286人、中国6,252人、フィリピン4,575人となっています。
ピーク時の4分の1以下です。

監督は、この人たちをどう見ていたかについても語っています。
「当事者の人たちを気の毒に思ってつくったのではなくて、自分の中で作品をつくる時、誰かを気の毒に思いながらつくることはできなくて、そこには憧れや敬意があるんです」。
続けて、慣れない国にやってきてタフに生きていく移民たちのエネルギーや、何も与えられていない中で生きていくサバイバル精神に憧れを抱いてつくった作品だったと思う、と振り返っています。

この映画が「予言」だったのかについて、本人はこう話しています。
「決して未来を予想して描いたわけではなく、その当時あった、いろんなことを拾い集めてつくったものではありました」。
続けて、何も問題が解決されていない、過去のことになっていてほしかったが非常に残念だ、という趣旨のことを話しています。

磁気データで偽札を作った事件は、確認できた資料には出てきません

日本語版Wikipediaのあらすじには、カセットテープに一万円札の磁気データが保存されていて、それを千円札にプリントして両替機にかける場面が書かれています。

確認できた範囲では、この手口が現実に成り立つかどうかを述べた資料も、1990年代に同じ手口の事件があったという記録も見つかっていません。

いっぽうで、現実の日本には別の形の事件がありました。
韓国の500ウォン硬貨を削って、日本の500円硬貨として自動販売機に通す手口です。

500円白銅貨と500ウォン硬貨は、どちらも1982年に登場し、素材も直径も同じでした。
違うのは重さだけです。
表面を削ったりドリルで穴を空けたりして軽くすると、自動販売機が500円として受け付けてしまいました。

500ウォン硬貨を含む、加工した貨幣による自動販売機荒らしの規模は、内閣総理大臣名の答弁書に数字が残っています(1999年12月7日・内閣衆質一四六第三号)。
それによると、1999年1月1日から10月31日までに2,290件を検挙し、犯行に使われた加工した貨幣約65万7千枚を押収しています。
前年同期と比べて検挙は約72パーセント増、押収は約181パーセント増です。
また、500ウォン硬貨の密輸入が初めて摘発されたのは1997年9月10日で、1999年10月末までに19件・約16万9千枚が押収されました。

映画の公開は1996年9月14日、密輸入の初摘発はその約1年後です。
ただし、両者を結びつけた資料は見つかっていません。
前後の関係があるだけで、映画がきっかけになったとは言えません。

なお、この答弁書は罪名も整理しています。
日本で強制通用力のない500ウォン硬貨は貨幣損傷等取締法の「貨幣」にあたらないため、加工しても同法の罪は成立しない、と書いています。
そのうえで、自動販売機から現金を取る行為については窃盗罪が成立する場合が多いとしています。
この事態を受けて、500円硬貨は2000年8月1日に材質を変えた2代目に切り替えられました。

R指定の理由を公表した資料は、見つかっていません

この映画は年齢制限つきで公開されました。
理由について、小学生が偽札を使う場面が問題になったから、と書いているページがあります。
日本語版Wikipediaもそう書いていますが、この記述には出典の注がついていません。
ただし、映倫がその理由を公表した資料は、確認できた範囲では見つかっていません。

検索上位の個人ブログも、断定はしていません。
問題になったのは性的な場面ではなく、子供が偽札を扱う場面だったようだ、という書き方をしています。
推測の形です。

1996年に「R-15」という区分はありませんでした

もうひとつ、区分の名前にずれがあります。
現在この作品は「R-15指定」として紹介されることがありますが、その名前は公開の翌々年にできたものです。

時期 区分の名前
1976年〜1998年4月 一般映画制限付(R指定)
1998年5月〜2009年4月 R-15指定
2009年5月〜 R15+

「一般映画制限付」は、15歳未満の鑑賞を制限する区分として1976年に導入されました。
導入当初は保護者が同伴すれば観られましたが、翌年から同伴でも入場と鑑賞が禁止になりました。
1998年5月に「R-15指定」へ、2009年5月に「R15+」へと名前が変わりました。
1996年9月の公開時点で使われていた名前は「一般映画制限付」です。
この経緯は、映倫へのインタビューを載せた『文化通信ジャーナル』2020年11月号(60巻12号、10〜13ページ)を出典に、日本語版Wikipediaが整理しています。

確認できた英語の資料に、実話説は出てきません

英語の資料についても書いておきます。

英語の批評・研究・映画祭の資料のうち、確認できた範囲では、この作品が実話や実在の事件に基づくと書いたものは1件もありませんでした。
同時に、実話ではないとわざわざ否定したものも、確認できた範囲にはありません。

確認できた2本の論文は、現実からの距離を強調する言葉で、この作品や円都を表しています。
ノッティンガム大学の学術誌 Scope に2004年に載ったロリ・ヒッチコックの論文は epic fantasy と呼び、2010年の Jump Cut に載ったコリーン・レアードの論文は a fantasy construct、a mythological city called Yen Town と書いています。
どちらも書き手の地の文で、監督の言葉ではありません。

観て思ったこと

ここからは資料ではなく、私が観た印象です。

円都の街は、完全な作り物のセットという印象よりも、実在する都市の裏通りをそのまま切り取ったように見えました。
看板や雑居ビル、露店、外国語の飛び交う空気が自然で、映画のために作られた街という感覚は薄いのです。
特定の場所というより、90年代の新宿歌舞伎町や池袋北口、川崎や横浜の工業地帯周辺など、多国籍な人々が集まる街の記憶を混ぜ合わせたような印象を受けました。
実際には豊洲・新浦安・鶴見などに建てられたセットで、種田陽平はその背後に現実の風景が映り込んでいたと話しています。

偽札の場面についても書いておきます。
私の印象では、偽札は物語の重要な要素として登場しますが、製造マニュアルのような描き方ではありません。
関係者が作業している様子や完成品が示される形が中心で、工程の雰囲気は伝わるものの、具体的な作り方を理解するための描写ではない、と受け止めました。
「円盗」という呼び名のほうは、一度だけ出て終わる表現ではなく、日本社会と移民たちの距離感を示す言葉として繰り返し出てくる印象です。

『スワロウテイル』を30年近く前の映画として見始めると、最初は時代特有のフィクションとして受け止めてしまいます。
しかし物語が進むにつれて、そこで描かれる移民、格差、居場所を失った人々の姿は、むしろ現在の社会のほうに近づいてきたようにも見えます。
観終わったあとに気になったのは、実際の事件の有無ではなく、この作品が公開された1990年代の日本で、外国人労働者や移民がどのように語られていたのかという社会背景でした。

よくある質問

スワロウテイルは実話ですか?

実話ではありません。
舞台の円都は架空の街です。
「円都」も「円盗」も監督の造語だと、東京国際映画祭の記事は書いています。
監督自身が、その時代を御伽話のように描いた、と書いています。
一方で、円が対ドルで当時の最高値をつけた時期も、在留期間を過ぎて滞在する外国人が大勢いたことも史実です。

円都のモデルになった街はありますか?

確認できた監督の発言には、モデルになった街の名前は出てきません。
海外でのロケハンは実際に行われ、中国まで行っていたことを監督が話していますが、最終的に街と通りはすべてオープンセットで作られています。
冒頭の川辺は新子安で撮影したと、監督は話しています。

撮影はどこで行われましたか?

冒頭のシーンは神奈川県の新子安で撮影されたと、監督が話しています。
円都のセットについては、美術監督の種田陽平が豊洲・新浦安・鶴見など数カ所だったと述べています。
お台場に建てられたと書いているページがありますが、確認できた範囲では、出典を示したものは見つかっていません。

なぜ年齢制限がついたのですか?

理由を映倫が公表した資料は、確認できた範囲では見つかっていません。
小学生が偽札を使う場面が問題になった、と日本語版Wikipediaなどに書かれていますが、確認できた範囲では出典の注がありません。
また、1996年の公開時点の区分の名前は「一般映画制限付」で、「R-15指定」という名前になったのは1998年5月からです。

原作はありますか?

あります。
監督の岩井俊二が自分で書いた小説です。
別作品『FRIED DRAGON FISH』の続編を作るプランから始まった企画だと、本人が話しています。
日本語版Wikipediaは文庫版のあとがきを出典に、撮影前に書かれた原案の小説だと書いています。
角川書店から1996年に単行本が出て、1999年3月に角川文庫に入りました。

映画に出てくる偽札の作り方は実際に可能ですか?

確認できた範囲では、可能かどうかを述べた資料は見つかっていません。
現実の日本で1990年代後半に広がったのは、韓国の500ウォン硬貨を削って自動販売機に通す手口でした。
政府の答弁書は、これを貨幣損傷等取締法の罪ではなく、窃盗罪が成立する場合が多い行為として扱っています。

この記事は、映画『スワロウテイル』(1996年・日本・監督 岩井俊二)の設定を、監督本人と美術監督の発言、および公的な資料に戻して確認したものです。
私の記憶の濃さは、筋は追えるが細部は曖昧、という程度です。
そのため、作品の場面については、資料に出てくる範囲と、私が受けた印象として書ける範囲だけを書いています。
何分の場面でどうだった、という書き方はしていません。
英語の資料は原文から訳しました。
邦訳の文言ではありません。

おすすめの記事