
映画『フラガール』は実話をもとにしています。ただし主要な2人の設定は、史実とほぼ逆向きです。
そしてこの映画は、そもそも経営者を主人公にした作品として企画が始まっていました。
もうひとつ。舞台になった炭鉱の有名な数字が、出典によって一桁違います。
出典にあたって整理します。
作品の骨格
先に枠組みだけ確認します。あらすじの詳細には立ち入りません。
| 公開 | 2006年9月23日。監督 李相日、脚本 李相日・羽原大介 |
| 原作 | なし。完全なオリジナル脚本 |
| 題材 | 常磐ハワイアンセンター(現・スパリゾートハワイアンズ)の誕生 |
| 受賞 | 第80回キネマ旬報ベスト・テン日本映画第1位、第30回日本アカデミー賞最優秀作品賞ほか |
| 興行 | 興行収入14億円。公開前は注目されず、口コミで広がった |
日本アカデミー賞については、出典が付記していることがあります。
1965年に「いわき市」はまだありません
細かい話から入ります。ただし、ほぼすべての記事が間違えている点です。
上位の解説記事は、そろって「1965年、福島県いわき市の常磐炭鉱を舞台に」と書いています。
ですが1965年の時点で、いわき市は存在しません。
日本語版Wikipediaの『フラガール』は、本文ではなく脚注でこう注意しています。
いわき市の成立は1966年10月1日。周辺14市町村の合併によるものです。常磐ハワイアンセンターが開業したのは1966年1月15日なので、開業のほうが先でした。
作品を紹介するとき「いわき市」と書くこと自体は、現在の地名として自然です。ただ「当時のいわき市で」と書くと事実が変わります。
この映画は、経営者を主人公にするはずでした
ここが今回いちばん重要な発見です。
企画の発端は、プロデューサーの石原仁美が、常磐ハワイアンセンター創設のドキュメンタリーをテレビでたまたま見たことでした。「これは絶対に映画になる」と考え、その翌日に常磐興産へ連絡をとって取材を開始しています。
そのときの構想が、いまの映画とはまるで違います。
経営者の物語として始まり、取材の途中で娘たちの物語に変わった作品です。
Wikipediaの「実話との相違点」節も、冒頭でこう断っています。
以降に挙げる相違点の多くは、この一点から派生しています。主役が入れ替わったぶん、新しい主役に「物語」を足す必要が出たからです。
原作が無いことも効いています。脚本は何度も書き直され、構想から3年かかっています。
平山まどかは、借金取りから逃げてきていません
松雪泰子が演じた平山まどかは、借金を抱えて都落ちしてきた元SKD(松竹歌劇団)のダンサーという設定です。
モデルとされるカレイナニ早川(本名・早川和子)の実像は、ほぼ逆です。
映画は「行き場を失った人が、嫌々やってきた」。史実は「テレビで見た経営者が頼み込み、その考えに感銘して引き受けた」。
動機が正反対です。
東京からではなく、横浜から
出発地も違います。作中のまどかは東京から湯本町へやってきます。
出典が書いているのは横浜です。先に引いた企画の経緯にも「横浜から招いた講師」とあり、小野恵美子の記事にも「横浜から講師として福島に招かれていた早川」と出てきます。
細部ですが、こういう置き換えは意図的に行われるものです。
そして本人が、この映画の振付指導をしています
スタッフ表を見ると、演技・振付指導にカレイナニ早川の名前があります。
自分をモデルにした人物が、事実と違う設定で描かれる映画に、本人が指導者として参加している。制作側の Special Thanks には常磐興産、常磐興産OB・OG有志、スパリゾートハワイアンズダンシングチーム、常磐音楽舞踊学院、早川洋舞塾が並びます。
脚色は、当事者に隠れて行われたものではありません。
早川さんは現在もご存命で、常磐音楽舞踊学院の最高顧問として指導にあたっています。
谷川紀美子は、素人の女子高生ではありません
蒼井優が演じた谷川紀美子は、踊りに縁のない女子高生として描かれます。
モデルは小野(旧姓・豊田)恵美子。実像は、かなり違います。
21歳。小学2年からのバレエ歴。ダンス部主将。一期生18名のなかで唯一のダンス経験者でした。
そのため、最初からトップのソロダンサーを任されることが決まっていました。
スカウトのされ方も物語的です。高校卒業後に就職し、就職先の忘年会でバレエを披露したことが縁で声をかけられています。
ただし「経験者だから楽だった」わけでもありません
ここを落とすと不正確になります。本人の記事は、続けてこう書いています。
バレエの経験者ではあっても、フラとタヒチアンは全員が未経験でした。
なお学院そのものの開校は1965年4月1日、開業は1966年1月15日で、暦の上では約9か月半あります。「学院全体で約9か月半」と「本人が入ってから初舞台まで3か月」は、別のことを指しています。
練習量については、早川が「たまには休みなさい」と言うほどだったと記録されています。夜は早川の部屋に泊まり、布団を並べて遅くまで踊りの話をするのが常だったとも。
早川本人の言葉も残っています。
小野恵美子のその後
1966年の開業時に「レイモミ豊田」の名で初舞台に立ち、当初は「3年くらい」と考えていたところ、約10年トップダンサーを務めました。1976年に結婚を機に引退。1997年には早川から後継者に指名されています。
2010年に「フラガールズ甲子園」を発案。2018年にいわき市政功労者として表彰されました。映画の撮影時にはロケ地まで赴いて協力しています。
2023年8月4日に79歳で亡くなりました。翌2024年3月、ハワイアンズで行われたお別れ会には蒼井優と山崎静代が駆けつけ、カレイナニ早川が別れの言葉を述べています。
吉本紀夫は、複数の人物を合わせた役です
会社側の人物として登場する吉本紀夫には、単独のモデルがいません。
事業を決断した経営者は中村豊。常磐湯本温泉観光の社長で、常磐炭鉱の副社長を兼務し、のちに社長になった人物です。
「押し切る形で」と書かれているとおり、社内は反対だらけでした。
映画で描かれる反対は、誇張ではありません。
なお総工費は、作中では18億円、史実の記録では20億円と、出典によって差があります。
温泉の量は「4トン」か「40トン」か
ここが今回いちばん驚いた点です。
この炭鉱の過酷さを説明するとき、必ず出てくる比率があります。石炭を1トン掘るために、何トンの湯を汲み出さねばならなかったか。
日本語版Wikipediaの『常磐炭田』には、この数字が2つ、同じ記事の中に載っています。
冒頭の記述はこうです。
同じ記事の後半、「常磐炭田地域の現在」の節ではこうなります。
4トンと40トン。一桁違います。
決定的なのは出典の有無です。4トンのほうには「常磐炭鉱記録映画による」と根拠が添えられており、40トンのほうには何も付いていません。
厳密には、前者は「湧き出す地下水の量」、後者は「廃棄していた湯の量」で、指すものが微妙に違うとも読めます。ただ、どちらも同じ「1トンの石炭あたり」の比率として書かれています。
いわき市周辺の観光・産業遺産の解説でも、私が確認できた範囲では4トンのほうが使われていました。
この比率を引くときは、出典で確認できるのは4トンのほうだと知っておいたほうが安全です。
「一山一家」は、実際に使われていた言葉です
映画で象徴的に語られる「一山一家」について。
これは映画の創作ではなく、常磐の炭鉱で実際に使われていた言葉です。
同じ山で働く者はみな家族である、という意味で、同じ炭鉱住宅に暮らし、冠婚葬祭から日々の物資の融通までを共にする共同体の意識を表しています。落盤や出水と隣り合わせの労働が、その連帯を必要としました。
いわき市では現在もこの言葉が語り継がれています。
閉山は、映画の10年後です
映画は1965年の1年間に危機が凝縮されているように見えます。実際の時間の流れは違います。
| 時期 | できごと |
|---|---|
| 1955年 | 常磐炭鉱での整理解雇が始まる |
| 1962年10月 | 原油輸入自由化。エネルギー革命が加速し、構造不況へ |
| 1964年 | 運営子会社「常磐湯本温泉観光株式会社」設立 |
| 1965年4月1日 | 常磐音楽舞踊学院が開校 |
| 1966年1月15日 | 常磐ハワイアンセンター本館とレストハウスがオープン |
| 1976年 | 最後まで残った鉱山が閉山 |
| 1985年 | 常磐興産が炭鉱業から撤退 |
整理解雇は映画の10年前に始まり、最終的な閉山は10年後です。
つまり1965年は「山が閉じた年」ではなく、削減を続けながら新事業へ人を移していた途中の年でした。映画が描く切迫感は、20年かけて進んだ変化を1年に圧縮したものです。
事業の目的も、記録では即物的に書かれています。炭鉱労働者の労務対策と、新たな収入源の確保。そこで着目されたのが「日本人が行ってみたい外国ナンバー1」だったハワイでした。
キャラバンは史実です
開業前にダンサーたちが各地を回って宣伝する場面があります。
これは実際に行われています。
常磐興産が2014年に出したプレスリリースには、早川本人の言葉として「第一回目のキャラバンで全国各地を周り」という表現が出てきます。
面白いのは、別方向からも裏が取れることです。2011年の震災後、ハワイアンズは半年の休業を経て全国キャラバンを実施しました。そのとき出典はこう書いています。
2011年の46年前は1965年。開業前年にキャラバンがあったことが、この一語から逆算できます。
初年度の来場者
一期生は18名でした。常磐興産のプレスリリースに、早川本人の言葉として「最初に入学した18名の生徒」と記録されています。
開業後の数字は、運営会社の公式サイトに残っています。
「10年続けば御の字」と言われた事業が、初年度で約120万人を集めました。
入場者数は1970年度の155万3千人でピークを迎えます。
タイトルは『フラガール』ですが、クライマックスはタヒチアンです
ここは短く。
出典が、あっさり指摘しています。映画のクライマックスのダンスは「タヒチアン」です。
出典は朝日新聞(2013年1月6日)。フラとタヒチアンは別の踊りで、常磐音楽舞踊学院もフラ・タヒチアン・ポリネシアンをそれぞれ教えてきました。
小野恵美子の記事にも、開業当時の視線が具体的に残っています。
冷やかされたのも、タヒチアンのほうでした。そして最初の舞台で涙を流す観客もいたと続きます。
ハワイで上映された版は、別物でした
もうひとつ、あまり知られていない話を。
2006年10月30日、この映画はハワイ国際映画祭の大トリとして、ホノルルのハワイ・シアターで上映されました。
そこで流れた版は、借金取りの石田(寺島進)が登場するシーンが完全にカットされたものでした。
日本での宣伝映像に使われた、まどかが到着して絶句する場面なども削られています。
借金という設定そのものが、本場の観客の前では落とされたことになります。史実の早川が借金を抱えていなかったことを思うと、示唆的な編集です。
撮影はどこで行われたか
ロケ地は福島県と茨城県にまたがります。
| 場所 | |
|---|---|
| スパリゾートハワイアンズ | 実際の施設で撮影されている |
| いわき市石炭・化石館 | 炭鉱内部のシーン |
| いわき市小名浜市民会館/海竜の里センター | |
| 福島県石川郡古殿町 | |
| 茨城県 北茨城市・高萩市・常陸太田市 | |
| 那珂湊駅(茨城県ひたちなか市) |
いわき市石炭・化石館では、企画展「あの感動をもう一度。フラガール展」が開催されています。
なお主役の松雪泰子・蒼井優から台詞のないダンサー役まで、ダンス経験のない女優をキャスティングし、全員が一からレッスンを受けて撮影に臨んでいます。実話と同じ条件を作りたかったから、という理由が記録されています。
映画が、施設そのものを変えました
最後に、公開後の話を。
公開前、ハワイアンズのフラダンスショーは「プールに設立された一時的なショータイム」という認識が強く、空席が目立っていました。食事や休息の合間に眺めるもの、という位置づけです。
公開後は、長期休暇には30分前に席が埋まり、立ち見が出るようになりました。
数字にも出ています。
| 年度 | 入場者数 |
|---|---|
| 2005年度 | 150万人(1970年度以来) |
| 2006年9月23日 | 映画公開 |
| 2007年度 | 161万1千人(過去最高・初の160万人超) |
2007年11月には、館内に映画の衣裳や小道具を展示する「フラ・ミュージアム」がオープンしています。
実話をもとにした映画が、その実話の現場を作り変えたという順序になりました。
よくある質問
フラガールは実話ですか?
骨格は実話です。常磐ハワイアンセンターの誕生も、常磐音楽舞踊学院の開校も、開業前のキャラバンも実際にありました。ただし主要人物の設定には大きな脚色があり、企画そのものが途中で「経営者の物語」から「娘たちの物語」へ変わっています。
平山まどかのモデルは誰ですか?
カレイナニ早川(本名・早川和子)です。ただし借金を抱えて都落ちしたという設定は創作で、実際は経営者の中村豊に頼み込まれ、その考えに感銘して講師を引き受けました。早川さんはこの映画の演技・振付指導も務めています。
谷川紀美子は実在しますか?
モデルは小野(旧姓・豊田)恵美子です。映画では踊りに縁のない女子高生ですが、実際は一期生の最年長21歳で、小学2年からクラシックバレエを続け、ダンス部の主将も務めた経験者でした。ただしフラとタヒチアンは、他のメンバーと同じく未経験です。
常磐ハワイアンセンターはいつできたのですか?
1966年1月15日に本館とレストハウスがオープンしました。当時の地名はいわき市ではなく常磐市で、いわき市の成立は同じ年の10月1日です。1990年に「スパリゾートハワイアンズ」へ改称されました。
炭鉱はいつ閉山したのですか?
最後まで残った鉱山の閉山は1976年です。映画が描く1965年は閉山の年ではなく、1955年から続いていた人員整理の途中にあたります。常磐興産が炭鉱業から完全に撤退したのは1985年でした。
まとめ
『フラガール』の脚色は、主役の入れ替えから生まれています。経営者を描くはずだった企画が娘たちの物語になり、その新しい主役に、都落ちの講師と素人の少女という「これから変わる余地」が与えられました。
実際の2人は、最初から専門家と経験者でした。
それでも、フラとタヒチアンは全員が未経験で、練習は「たまには休みなさい」と言われるほどでした。冷やかされ、家族に反対され、開業前には全国を回って宣伝しています。脚色されたのは経歴であって、苦労のほうではありません。
そして数字を引くときは気をつけてください。石炭1トンあたりの湯の量は、出典によって4トンにも40トンにもなります。根拠が添えられているのは、少ないほうです。
同じ時代の東北を舞台にした検証としては、『八甲田山』が実話かを出典にあたって整理した記事もあります。
本記事の事実関係は、日本語版Wikipediaの『フラガール』『スパリゾートハワイアンズ』『小野恵美子 (舞踊家)』『常磐炭田』、スパリゾートハワイアンズ公式サイト「ハワイアンズヒストリー」、および常磐興産のプレスリリース(共同通信PRワイヤー 2014年6月9日)にあたって確認しました。
作中の設定と史実は区別して記載し、作中の描写を史実として示さないようにしています。実在の人物については、出典が記す事実の範囲を超えた評価を加えていません。

