ア・フュー・グッドメンの実話|被害者は死んでいない

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『ア・フュー・グッドメン』を観たあと、たぶん多くの人が同じことを検索します。

これ、実話なの?

答えを先に置きます。

実話です。ただし映画は、そうとは一言も言っていません。

そして、いちばん大事なところが違います。

現実の被害者は、死んでいません

回復して、そのあとワシントンD.C.の勤務に移っています。

以下、1994年の新聞3本にあたって整理しました。

この映画、実話だと名乗っていない

まず、ここが面白いところです。

映画は観客に何も言っていません。英語版Wikipediaは、脚本家アーロン・ソーキンがこの物語を書くに至った経緯を説明したうえで、こう書いています。

映画は観客に、これが実話から着想を得たものだと知らせていない英語版Wikipedia

「実話に基づく」の一行を出せば箔がつくのに、出していない。

日本語版Wikipediaには、1行も書いていない

念のため、日本語版Wikipediaを全文(約3,500字)読みました。

探した語はこれです。「実話」「実際」「モデル」「1986」「アルヴァラード」「妹」。

全部ゼロ件。1つも出てきません。

日本語版Wikipediaで確認)

「事件」だけ1回出てきますが、それは作中の不法発砲事件のことでした。惜しい。

英語版が節をまるごと1つ割いている話題が、日本語版には存在しない。

日本語で調べても答えが出てこないのは、まずこれが理由です。

きっかけは、脚本家の妹だった

経緯そのものは、複数の資料が一致しています。

アーロン・ソーキンの妹は海軍の法務官(JAG)でした。キューバのグアンタナモ湾米海軍基地で起きた事件の弁護を担当し、その話を兄にした。それが戯曲の出発点です。

米国映画協会(AFI)の長編映画目録は、彼女が10人の海兵隊員のうち1人の弁護人を務めたと記録しています(AFI Catalog of Feature Films)。1994年のVarietyも、訴状の記載として同じことを伝えています(Variety・1994年2月21日)。

妹の仕事の話から、戯曲が1本できた。

しかもその戯曲、1989年9月にバージニア大学で初演され、ケネディ・センターを経て、同年11月にはブロードウェイのミュージック・ボックス劇場です。14か月のロングラン(AFI)。映画化はその3年後。

出世が早い。

1986年に、実際に起きたこと

ここからは、笑って読める話ではなくなります。

事件が起きたのは1986年、キューバのグアンタナモ湾にある米海軍基地です。

被害者はウィリアム・アルヴァラード一等兵。1992年12月6日のニューヨーク・タイムズでは「Willie A.」と表記されていました(AFI)。

彼が孤立した理由も記録に残っています。英語版Wikipediaは、彼が基地内の劣悪な環境と違法行為をテキサス州選出の議員らに書簡で訴えていたと書いています。違法行為というのは、海兵隊員がフェンス越しにキューバ側へ発砲していたことです。

1994年のボルティモア・サンは、同じことを部隊の側から書いています。同僚たちは彼を仮病使いと見なしており、キューバへ発砲した海兵隊員のことを密告したと信じていましたBaltimore Sun・1994年4月10日)。英語版Wikipediaは、彼が「チームの一員とは見なされていなかった」と書いています。

実行したのは、2人ではなく10人

ボルティモア・サンによれば、その夜、部隊の海兵隊員たちは映画『アニマル・ハウス』のビデオを観ていました。大学の悪ふざけを描いた喜劇です。それを観ながら、彼に「コードレッド」を行うことを決めます。コードレッドは当時の隠語で、仲間内の非公式な制裁を指しました。

10人が彼に目隠しをして口に布を詰め、殴り、丸刈りにしようとしました。

このときバリカンを握っていたのが、デヴィッド・コックスという19歳の海兵隊員です。アルヴァラードの顔色が変わったことに最初に気づいたのも、彼でした。

アルヴァラードは肺に体液がたまり、血を吐いて意識を失います。基地から搬送され、マイアミで治療を受けました。

悪ふざけの映画を観ながら始まって、人が死にかけたところで止まった。

映画と現実が違う4つの点

さて、本題です。

項目 映画 現実
被害者 サンティアゴ一等兵は死ぬ アルヴァラードは回復した
大佐 証言台で自ら命じたと認める アダムス大佐は自白していない
実行者 2人 10人
処分 2人が不名誉除隊 不名誉除隊は1人もいない

全部違う。

① 被害者は死んでいない

映画では、サンティアゴ一等兵が死亡し、それが軍法会議の出発点になります(日本語版Wikipedia)。物語の土台そのものです。

現実は違います。

コックスの弁護人だったドナルド・マルカリに取材した1994年の記事は、彼の説明としてこう書いています。

劇と映画では、コードレッドを行ったのは2人で、猿轡をされた海兵隊員は死んだ。現実には、被害者は健康を取り戻し、ワシントンD.C.で希望の配属を得たThe Virginian-Pilot・1994年11月17日

ボルティモア・サンも同じです。

彼はやがて暴行から回復した
現実のコックスが生きた人生では、誰も死んでいないし、誰も不名誉除隊になっていないBaltimore Sun・1994年4月10日

訴訟を報じたVarietyにも、こうあります。

映画の海兵隊員と違い、現実の兵士はしごきで死んでいないVariety・1994年2月21日

1994年の別々の3本の記事が、いずれも同じことを書いています。

映画は、被害者を死なせることで話を軍法会議に持っていった。そこが出発点だとすると、映画の8割はここから生まれた枝ということになります。

② 大佐は自白していない

映画のクライマックスは、基地司令官のジェセップ大佐が証言台で追い詰められ、自らコードRを命じたと認める場面です(日本語版Wikipedia)。このとき大佐が放つ台詞は、AFIが選んだアメリカ映画の名セリフ100選で29位に入っています。

映画史に残る名場面です。

そして現実の基地司令官サミュエル・アダムス大佐は、認めていません

マルカリの証言です。

一度も自白しなかった。何かの間違いに違いない、と彼は言った。コードレッドがまだ行われているとは思っていなかった、と
だが、行われていた。ごく当たり前に行われていたThe Virginian-Pilot

そしてマルカリはこう続けます。

我々が示そうとしたのは、そこに黙示の命令があったということだ。海兵隊員は血気にはやるあまり、どんな命令にも従わなければならないと考える。たとえそれが黙示の命令であってもだThe Virginian-Pilot

映画が法廷の1シーンで決着させたものを、現実の弁護側は「明示されていない命令」という、証明のしようがないものとして争うしかなかった。

法廷で真実が明らかになる。あれは、いちばん気持ちのいい嘘だったわけです。

③ 実行者は2人ではなく10人

映画は被告を2人に絞っています。現実は10人でした。

そして10人には選択肢が示されます。OTH除隊(other-than-honorable discharge)を受け入れるか、軍法会議で争うか。

7人がOTH除隊を選び、3人が軍法会議を選びました(The Virginian-Pilot/Baltimore Sun)。OTH除隊を選んだ7人のうち、のちに名誉除隊へ格上げされたのは1人だけです。

10人を2人に。映画としては正しい判断だと思います。10人ぶんの事情を描いていたら3時間では終わりません。

ただ、その2人に残りの8人ぶんの罪が乗ることになります。

④ 不名誉除隊になった人は、現実には0人

ここは用語を正確に分ける必要があります。地味な話ですが、いちばん大事なところです。

OTH除隊と不名誉除隊は、別のものです。

OTH除隊は行政上の除隊で、不名誉除隊は軍法会議が科す懲罰としての除隊。当時の新聞記事も、この2つをきちんと書き分けています。

映画のドーソンとダウニーは、殺人については無罪となりますが除隊処分を受けます(日本語版Wikipedia)。ボルティモア・サンは、それが不名誉除隊であったと映画の描写として書いています。

現実はどうだったか。

軍法会議を選んだデヴィッド・コックスは、重い罪については無罪となり、単純暴行のみで有罪。刑は30日の拘禁でしたが、すでに38日拘禁されていたため執行されていません(Baltimore Sun)。

8日ぶん、多く入っていたことになります。

その後、彼は海兵隊に残り、韓国、パナマ、ノースカロライナで残りの任期を務め、1989年に伍長として名誉除隊しています(The Virginian-Pilot/Baltimore Sun)。

ボルティモア・サンの一文をもう一度置きます。

現実には、誰も死んでいないし、誰も不名誉除隊になっていないBaltimore Sun・1994年4月10日

ところが、資料が割れている

ここまで書いておいて何ですが、面倒な資料が1つあります。

AFIの長編映画目録は、被害者が死んだと記録しているのです。

しかし、被害者の喉に押し込まれた布が、意図せず彼の死を招いたAFI Catalog of Feature Films

米国映画協会です。映画研究で参照される資料です。無視できません。

それでも筆者は、生存のほうを採ります。理由は3つあります。

根拠
1 生存を書いている3本はいずれも1986年の事件から8年後の同時代報道で、うち2本は弁護人・同僚・遺族への直接取材にもとづく。AFIの記述には出所が示されていない
2 死亡していれば、コックスが単純暴行で済み、海兵隊に残って名誉除隊するという帰結にならない。AFIの記述は判決の内容と噛み合わない
3 AFIの当該項目には主題タグとして「事故死」が付いている。映画の筋と実際の事件が混ざった可能性がある

つまり、この誤解は日本語圏だけのものではありません。

本家アメリカの、それも権威ある映画資料にまで入り込んでいる。

映画が現実を上書きするというのは、こういうことなのだと思います。

そのあとに起きた2つのこと

日本語ではほとんど語られていない後日談が2つあります。

モデルにされた5人が、映画会社を訴えた

1994年2月、元海兵隊員5人がテキサス州裁判所に提訴しました。請求額は約1,000万ドル(Variety)。

被告の顔ぶれが、なかなかです。

キャッスル・ロック・エンターテインメントとその創業者たち、監督のロブ・ライナー、脚本のアーロン・ソーキン、コロンビア・ピクチャーズ。関わっていそうな会社と人を、ほぼ全部並べています。

訴状にはこうあります。

この映画とその後のビデオレンタルから生まれた利益は、途方もない額だ。しかし原告らは、きわめて私的な出来事を公にすることを、被告らに許諾していないVariety・1994年2月21日

原告側代理人は、猿轡の布がガソリンに浸されていたという細部が、軍法会議の記録からそのまま取られたものだと主張しました。

たしかに、そこまで一致していたら偶然とは言いにくい。

なお、暴行を受けた本人を含む5人以上は、この訴訟に加わっていません。

そして訴訟の結末を報じた記事は、確認できませんでした。英語版Wikipediaは原告側が何も得られなかったとしていますが、その記述には出典が付いていません。本記事では結末を断定しません。

バリカンを握っていた男が、射殺された

もう1つは、笑いどころのない話です。

デヴィッド・コックスは、1994年1月5日に消息を絶ちました。マサチューセッツ州ネイティックの自宅に恋人が夕方帰ると、グラスがいくつか倒れ、彼の1988年式フォードのトラックは停まったままで、本人だけがいませんでした。

4月2日、チャールズ川をカヌーで下っていた人が片方のスニーカーを見つけ、林の中で遺体が発見されます。胴に3か所の銃創と、首の後ろに1か所の傷がありました。記事が書かれた時点で、警察は容疑者も動機もつかんでいません(Baltimore Sun)。

そして、この時系列が重い意味を持ちます。

失踪の直前、コックスは映画会社への訴訟に加わることを決めていました

提訴はその1か月半後で、原告5人の中に彼の名前はありません。

ただし、訴訟と殺害を結びつける根拠は出ていません。元弁護人のマルカリは同じ年、こう述べています。

間違いなく犯罪だと思う。ただ、どこから来たものかは分からない。財布は中身が入ったまま身につけていたし、争った形跡もなかった。彼の軍歴と関係があるとは思うが、あの裁判とは関係ないと思うThe Virginian-Pilot

コックスは映画公開の翌年、1993年2月に地元紙ネイティック・ブレティンの取材にこう答えていました。

もし真実を知らなかったら、たぶん人生で一番いい映画だと思っただろうNatick Bulletin・1993年2月/Baltimore Sun より

この一言に、全部入っていると思います。

兄はこう証言しています。

弟が何より嫌だったのは結末だ。2人の海兵隊員が任を解かれ、不名誉除隊になるところだBaltimore Sun・1994年4月10日

コックスは元弁護人のマルカリと、記録を正すための本の第1章を書き始めていました。ボルティモア・サンによれば、彼はその計画を果たせないまま亡くなっています。

1994年以降にこの殺害事件が解決したかどうかは、本記事では確認できていません。当時の報道が手がかりなしと伝えている、というところまでです。

よくある質問

『ア・フュー・グッドメン』は実話ですか?

1986年にグアンタナモ湾の米海軍基地で実際に起きた事件が元になっています。ただし映画自体は、実話に基づくとは表示していません。脚本家の妹がその事件の弁護に関わったことが出発点です。

現実の被害者は亡くなったのですか?

亡くなっていません。ウィリアム・アルヴァラード一等兵は搬送先で回復し、その後ワシントンD.C.の勤務に移りました。AFIの目録は死亡と記録していますが、1994年の新聞3本はいずれも生存と報じており、判決の内容とも整合します。

現実の司令官も、法廷で自白したのですか?

していません。弁護人ドナルド・マルカリは、サミュエル・アダムス大佐は一度も自白しなかったと述べています。弁護側は「黙示の命令」があったという構成で争いました。

現実の海兵隊員たちも不名誉除隊になったのですか?

なっていません。10人のうち7人はOTH除隊を受け入れ、3人は軍法会議で争って海兵隊に残りました。不名誉除隊は映画の中だけの処分です。

まとめ

『ア・フュー・グッドメン』は実際の事件から生まれた映画です。そうとは名乗らないまま、核心を作り変えました。

現実の被害者は生き延び、現実の司令官は自白せず、現実の海兵隊員たちは不名誉除隊になりませんでした。

いちばん大きく作り変えたのは、法廷で真実が明らかになるという結末そのものです。現実の弁護側は、明示されない命令の存在を示そうとして、示しきれないまま終わりました。

そして、その事件の当事者の1人は、映画に自分の人生を書き換えられたと感じたまま、1994年に殺されました。事件は当時、未解決のままです。

名作であることと、誰かの人生をそのまま使ったことは、両立します。

同じように、作品の中の出来事を出典にあたって確かめたものとして、ドラマ『JIN-仁-』の「胎児様腫瘍」という病名が存在しない件も整理しています。

本記事の事実関係は、1994年の The Virginian-Pilot、Baltimore Sun、Variety の各記事、AFI Catalog of Feature Films、および英語版・日本語版Wikipediaにあたって確認したものです。
筆者は軍事・法務の専門家ではありません。米軍の除隊区分など制度に関する記述は、出典の用語をそのまま用いています。

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