タイタニックの実話|映画会社が遺族に謝罪している

※この記事にはプロモーションが含まれています。

『タイタニック』は実話かと聞かれれば、答えは半分です。沈没事故は実際に起きました。ジャックとローズは実在しません。

ここまでは、どこにでも書いてあります。

この記事で扱うのは、その先です。実際の出来事をもとにしたために、実在の人物をめぐって二つのことが起きています。

起きたこと
一等航海士マードック 映画での描かれ方に地元と遺族が抗議し、20世紀フォックスが謝罪して基金に5,000ポンドを寄付した
日本人乗客細野正文 「卑怯者として教科書で批判された」と語られてきたが、その出典が見つからないという指摘が出ている

出典にあたって整理します。

事故そのものは実話です

まず、動かない数字から。

項目 内容
衝突 1912年4月14日 23時40分(事故現場時間)
沈没 4月15日 2時20分(衝突から2時間40分後)
場所 北大西洋。サウサンプトン発ニューヨーク行きの航海4日目
乗船者 2,224人
死者 1,514人
生還者 710人

氷山への警告は、4月14日のうちに7件受けていました。それでも見張りが氷山に気づいたとき、船は最高速に近い速度で進んでいます。

船体は右舷側に斜め方向の打撃を受け、全16区画のうち5つに穴が開きました。設計上は4区画まで浸水しても沈まないはずでした。1つ足りませんでした。

救命ボートが足りなかったのは、コストのせいではありません

よく語られる「救命ボートが少なすぎた」は事実です。ただ、理由は誤解されがちです。

ボート1艘あたり 平均68人
全ボートの収容力 1,178人(乗船者の約半分、最大積載人数の3分の1)
設計上の搭載可能数 68艘

載せられる設計にはなっていました。場所とコストの問題ではありませんでした。

そしてボートは、近くの救助船まで人を移すための簡易的なものでした。全員を乗せて漂流する想定ではなかったということです。

救助船カルパチアが最後の1人を救い上げたのは4月15日9時15分。沈没から7時間12分後でした。

この事故をきっかけに、1914年に海上における人命の安全のための国際条約(SOLAS)が作られています。

警告は7件届いていました

「なぜ止まらなかったのか」は、記録が細かく残っています。

時刻 発信元と内容 扱い
9時00分 カロニア号 スミス船長が受信確認
13時42分 バルティック号 船長が受信確認しイズメイに見せた。航路を南寄りに変更
13時45分 ドイツ船アメリカ「大きな氷山ふたつを通り過ぎた」 船長にも他の上級船員にも伝わらなかった
19時39分 カリフォルニアン「3つの大きな氷山」
21時40分 メサバ号(叢氷・氷山・氷原) 無線室に留め置かれたまま
22時30分 カリフォルニアン(氷床で足止め中) 遮られた

13時45分の一通が伝わらなかった理由について、出典は無線オペレーターが機器の不具合を直していて伝達を忘れたのではないか、と記しています。

そして22時30分の一通。無線オペレーターのジャック・フィリップスは、これを遮ってこう答えたといいます。

しゃべるな!しゃべるな!レース岬と通信中だ!ジャック・フィリップス(Wikipedia『タイタニック号沈没事故』)

フィリップスは乗客のメッセージを送るのに気をとられていました。

前の晩に無線機器が故障しており、溜まった処理に追われてもいました。氷の警告は、乗客の私信に埋もれています。

それでも船は減速していません

クルーは近くに氷があることに気付いていました。それでも船の速度は22ノット。最高速度24ノットから、わずか2ノット落としただけでした。

その夜、海は異常に凪いでいました

生存者のアーチボルド・グレイシー大佐が、後にこう書いています。

海は鏡のようで、星がはっきり映るくらい水面がなめらかだったアーチボルド・グレイシー(Wikipedia『タイタニック号沈没事故』)

現在では、これほど凪いだ海面は近くに叢氷があることを示すものと理解されています。

しかも月が出ていませんでした。海が荒れていれば氷山にぶつかる波で位置が見えたはずが、その手がかりもありません。

監視役は双眼鏡を持っていませんでした。サウサンプトンでのごたごたが理由です。ただし出典は、光源のない暗闇では双眼鏡は役に立たないとも言われている、と併記しています。

23時30分、見張りのフリートとリーは水平線上のかすかな靄に気づきますが、重視しませんでした。その9分後が、衝突です。

ジャックとローズは架空です

映画の中心にある二人は、実在しません。ここは出典も一致しています。

ただし、周辺に実在の人物が多数配置されています。だから問題が起きました。

ローズにモデルがいたという話は、出典で確認できません

検索すると「ローズには実在のモデルがいた」という記事が出てきます。ただし本記事で当たった出典には、ローズのモデルとされる人物の記載がありませんでした。

調べたもの 結果
Wikipedia『タイタニック (1997年の映画)』 「モデル」の語は4回。うち3回は事故そのもの・撮影用の模型・作中の肖像画を指す。ローズのモデルへの言及なし
Wikipedia『タイタニック号沈没事故』 「ローズ」の語が0件

出典が置いているのは、事故そのものが作品のモデルという位置づけです。

キャメロン監督については、難破船に魅了されたことから着想を得て、歴史的海難事故の感情的なインパクトを伝えるには人間の喪失感を織り交ぜたラブストーリーが不可欠だと考えた、と記されています。実在の誰かをなぞった形跡は、出典の側には出てきません。

「J.ドーソン」の墓は実在します

ジャック・ドーソンは架空の人物ですが、犠牲者のなかにジョセフ・ドーソンという客室係がいました。

墓碑に刻まれているのは「J.ドーソン」。映画のヒット後、彼の墓所を訪れるファンが多かったと出典は書いています。

同姓の他人です。作品と現実が、意図せず結びついた例のひとつです。

映画会社が、遺族に謝罪して基金に寄付しています

ここからが本題です。

ウィリアム・マクマスター・マードックがしたこと

一等航海士。1873年生まれ、事故当時39歳。

時刻 行動
4月14日 23時40分 衝突時、当直だった。見張りからの「正面に氷山」の報告を受け、操舵員に「Hard a starboard」を指示、両エンジンに全速後進を命じた
直後 正面衝突は免れたが右舷が接触。すぐにボイラー室と機関室の防水壁を閉じるスイッチを押した
4月15日 0時20分 スミス船長により右舷ボート担当に任命される
2時15分頃 折り畳み式ボートを吊り柱に取り付けようとしていたところ、水に飲み込まれたとされる(二等航海士ライトラーの証言)

遺体は発見されていません。

もう一点、記録に残っていることがあります。スミス船長は「婦女子優先」を命じましたが、その運用は担当者で分かれました。

担当 運用
二等航海士ライトラー(左舷) 婦女子優先を徹底した
一等航海士マードック(右舷) 緩やかに適用した。主人と離れたがらない夫人などは、座席に余裕があれば夫と一緒に乗ることを許可することが多かった

出典は、その理由を「余計な遅れをなくそうという考えからだった」と説明しています。

映画では、こう描かれました

1997年版での描写は、記録とかなり違います。

映画の中で一等航海士のウィリアム・マクマスター・マードックは、タイタニックが沈没に瀕した時に富裕な乗客から救命ボートに乗せる代償に賄賂を受け取るが直前になって翻意して賄賂を突き返し、パニックを起こした乗客を射殺してから自決した不名誉な人物として描かれたWikipedia『タイタニック (1997年の映画)』

実在の人物が、収賄と殺人の当事者として描かれました。

地元が抗議し、会社が謝罪しました

生還した航海士や乗客からは、別の証言が出ています。

「彼は最後の瞬間まで職務を遂行し亡くなった」との証言もありマードックの地元からも抗議があったWikipedia『タイタニック (1997年の映画)』

そして映画会社が動きました。

20世紀フォックス社はマードックの遺族に謝罪し、故郷の高校に「ウィリアム・マクマスター・マードック記念賞」の基金として5,000ポンドを寄付した。ジェームズ・キャメロン監督もメイキングで「配慮が足りなかった」と語っているWikipedia『タイタニック (1997年の映画)』

1998年には、20世紀フォックスの副社長スコット・ニーソンが、マードックの80歳の甥のところへ出向いて謝罪しています。

映画会社が実在の人物の描写について謝り、その人の名前を冠した賞の基金に寄付した。

「実話をもとにした映画」が背負うものが、はっきり出た例です。

日本人乗客をめぐる話は、いまも決着していません

もうひとつ、日本で長く語られてきた話があります。こちらは扱いが難しく、出典が真っ二つに割れています。

広く語られている話

タイタニックに乗っていた日本人は1人。鉄道官僚の細野正文(1870年生まれ)です。二等船室の男性乗客で、10号ボートに乗って生還しました。

語られてきたのは、こういう筋です。生還者のイギリス人ローレンス・ビーズリーが1912年の著作で「他人を押しのけて救命ボートに乗った嫌な日本人がいた」と書いた。それが日本に伝わり、細野は新聞や修身の教科書で批判され、鉄道副参事を免官になった——。

出典は、この筋を『週刊文春』1997年12月18日号などの報道によるものとして紹介しています。

調べると、出典が見つかりません

ジャーナリストの安藤健二が、この逸話そのものに疑問を呈しています。

調べたもの 結果
ビーズリーの著作 日本人に関する証言を見つけられなかった
当時の修身の教科書・新聞 細野を批判したものは発見されなかった
タイタニックに触れた教科書 1925年発行の2冊のみ。掲載は和田垣謙三のエッセイで、記述は「日本人も一人居たが、これは幸にも助った」だけ

安藤が確認できた最も古いものは、1916年の少年向け雑誌で新渡戸稲造が細野の名前を出さずに皮肉を述べた箇所。明確な批判が最初に確認できるのは、細野の死後、1954年10月4日付『新潟日報』夕刊に載った早稲田大学教授・木村毅の寄稿文だといいます。

しかも新渡戸も木村も、ビーズリーの証言をもとに批判してはいません。

安藤は、メディアが「名誉回復された」という美談に仕立てるために批判の存在を作ったのではないか、と推測しています。

ただし、息子本人が「教科書にあった」と証言しています

ここで話は単純に終わりません。デマだった、で片づけられない証言があります。

木村毅の寄稿に抗議したのは、細野の次男・細野日出男でした。その日出男自身が、こう述べています。

大正時代の女学校用某修身教科書に、タイタニック号のことが書いてあって、父のことを卑怯な行為で助かった日本人であり、日本人の面汚しだと痛罵してあり、かねがね、母も残念がっていました細野日出男(Wikipedia『細野正文』

批判の存在を否定しているのは調査した第三者で、あったと言っているのは家族です。

木村自身も、日出男の抗議に対して「世の公論となったことをおぼえていて、今日もそれを正しいと信じていたが故にくり返した」と述べています。

当時、細野を擁護する声も記録に残っています

同じ論争のなかで、こういう投書も出ています。スタンフォード大学に留学していた長岡政之助が『新潟日報』に寄せたものです。

投書の内容
当時サンフランシスコの日米新聞社長だった安孫子久太郎に随伴して、細野本人から直接聴取した
在米の日本人たちは皆その生存を喜んでいた
翌々朝のサンフランシスコ・クロニクル紙は「ラッキー・ジャパニーズ・ボーイ」の見出しで祝福していた

これらを『海の奇談』(1961年)で紹介した庄司浅水は、こう書いています。

無理ヤリ割り込んで、命拾いをしたわけでは決してない。これを卑怯者呼ばわりをし、日本人のツラよごし呼ばわりをするのは、いささか酷であり的はずれ庄司浅水『海の奇談』社会思想社、1961年(Wikipedia『細野正文』)

いま言えること

「日本で批判された」を、事実としても作り話としても断定できません。

出典が示しているのは次の3点です。細野が10号ボートで生還したこと。批判があったとする証言と、批判は確認できないとする調査の両方が存在すること。そして海の向こうでは祝福されていたこと。

あの老夫婦は実在します。そして「乗れなかった」のではありません

映画に出てくる、抱き合ったまま船に残る老夫婦。実在の人物です。

イジドー・ストラウス——メイシーズ百貨店の共同経営者、当時67歳。妻はアイダ・ストラウス

よくある要約は「高齢で乗れなかった」ですが、記録は逆です。

記録
夫イジドー 高齢のため特別に救命ボートに乗ることを認められた。しかし男性の自分が女性と子供を差し置いて乗るわけにはいかないと主張した
妻アイダ 夫と別れて自分だけがボートに乗ることはできないと主張した
結果 夫妻ともに、救命ボートに乗ることを拒否した

乗れなかったのではなく、乗らないことを選んでいます。

同じ場面では、企業家のベンジャミン・グッゲンハイムが救命胴衣とセーターからトップハットとイブニングに着替え、紳士らしく船と運命を共にしたいと述べたことも記録されています。

もう一人、生き延びて糾弾された人がいます

細野正文と同じ構図が、船を所有する会社の側にも起きています。

J・ブルース・イズメイ。ホワイト・スター・ラインのトップで、処女航海に同乗していました。映画でも卑怯者として描かれる人物です。

記録に残っている、その夜の行動

時刻 記録
4月14日 13時42分 バルティック号からの氷山情報をスミス船長が受信確認し、イズメイに見せた。その後スミスは航路を南寄りに変更した
衝突後 事態の重大さに気付いて右舷のボートデッキをまわり、乗客とクルーにボートに乗るよう促した。説得に応じた人々が乗ったのが右舷7番ボートで、これが最初に降ろされた救命ボートとなった
4月15日 1時40分 折りたたみボートCで船を離れた

当初は、ボートに乗ろうとする乗客がほとんどいませんでした。

百万長者のジョン・ジェイコブ・アスターは「あんな小さなボートよりもここにいたほうが安全だ」と言い張り、移乗をきっぱり断る客もいたと出典は記しています。最初のボートは、イズメイが説得して降ろされたものでした。

彼が乗ったデッキは、ほぼ無人でした

そして、離脱の場面についてはこう書かれています。

このボートを降ろしたデッキは、ほとんどの乗客が船尾に移動していたためほぼ無人となっていた。ホワイト・スター・ラインの取締役であったJ・ブルース・イズメイはこのボートに乗って船から逃げ出し、のちにタイタニックの最も物議を醸した生存者として糾弾されているWikipedia『タイタニック号沈没事故』

事故後、世間の憤りが向かった先のひとつが「なぜ他の人々が多数亡くなったのにイズメイは自分の命を救ったのか」でした。

誰かを押しのけた記録は出てきません。それでも「最も物議を醸した生存者」と書かれています。

生き延びたこと自体が責められる。細野正文に起きたとされることと、同じ形です。

三等船室で起きていたこと

映画は、三等船室の乗客が閉じ込められる場面を描きます。等級によって差があったのは事実です。ただし、記録が挙げる理由は少し違います。

記録
船内放送 タイタニックには一斉呼びかけを行うシステムがなかった。客室係が各室を回って起こすしかなかった
一等船室 客室係は数室のみを担当。客が服を着るのを手伝い、デッキまで誘導した
二等・三等船室 客室係は大勢をさばく必要があり、ドアを開け放ち、救命胴衣をつけて上に来るよう伝えるのが精一杯だった
三等船室 おおむね乗客自身の判断で行動するほかなかった

鍵をかけられたというより、知らせる手段と人手が足りませんでした。

多くの乗客は、そもそも問題が起きたことを信じていません。冷え込む甲板に出るより室内で暖かくしているほうがよいと、命令に従うのを渋りました。船が沈みかけていることは、知らされていませんでした。

映画が受けた、もう一つの批判

マードックの件以外にも、描写への批判は出ています。

福音派の指導者ジェームス・ドブソンは、犠牲者の内訳を挙げてこう指摘しました。

亡くなった人 人数
男性 1,339人
女性 114人
子供 56人

ドブソンは、この船が「やもめたちの船」と呼ばれていたこと、ジョン・ハーパー牧師のように自ら席を譲った男性のエピソードがあることを挙げ、それを一切扱わずに男性を臆病者のように描いたとして監督を批判しています。

よくある質問

タイタニックは実話ですか?

事故は実話です。1912年4月14日23時40分に氷山と衝突し、翌15日2時20分に沈没しました。乗船者2,224人のうち1,514人が亡くなっています。一方、ジャックとローズは架空の人物です。

映画で乗客を撃つ航海士は実在の人物ですか?

実在します。一等航海士ウィリアム・マクマスター・マードックです。ただし記録では、衝突時に当直として操舵と防水壁閉鎖を指示し、右舷ボートの担当として救助にあたり、船とともに亡くなっています。映画の描写には地元と遺族から抗議があり、20世紀フォックスが謝罪して記念賞の基金に5,000ポンドを寄付しました。

ジャック・ドーソンという人は実在したのですか?

主人公は架空です。ただし犠牲者にジョセフ・ドーソンという客室係がおり、墓碑に「J.ドーソン」と刻まれています。映画のヒット後、この墓所を訪れるファンが多かったと出典は記録しています。同姓の別人です。

ローズには実在のモデルがいたのですか?

本記事で当たった出典では確認できませんでした。Wikipediaの映画記事にも沈没事故の記事にも、ローズのモデルとされる人物の記載はありません。出典が示しているのは、事故そのものが作品のモデルだという位置づけです。

日本人の乗客はいましたか?

鉄道官僚の細野正文が1人。10号ボートで生還しています。帰国後に批判されたという話は、いま論争になっています。批判は確認できないとする調査と、批判はあったとする家族の証言の両方が出典に載っており、どちらとも断定できません。

救命ボートはなぜ足りなかったのですか?

設計上は68艘まで載せられました。実際に搭載されたボートの収容力は1,178人分で、乗船者の約半分、最大積載人数の3分の1でした。ボート自体も、近くの救助船へ人を移すための簡易的な設計でした。

船長は本当に船に残ったのですか?

エドワード・ジョン・スミス船長は事故で亡くなっています。40年を海で過ごし、うち27年は船員を指導する立場にありました。出典は、事態の重大さを把握するにつれて優柔不断で動けなくなっていったようだと記しています。

まとめ

事故は実話。主役は架空。そして脇に、実在の人物が並んでいます。

そのために、公開から映画会社が謝罪する事態が起き、日本では一人の乗客をめぐる論争が今も続いています。

実話をもとにするというのは、亡くなった人の名前を借りるということでもあります。

実在の事件を扱った映画で、どこまでが記録でどこからが脚色かを追った例としては、『ア・フュー・グッドメン』の実話を検証した記事もあります。

本記事の事実関係は、日本語版Wikipediaの『タイタニック号沈没事故』『タイタニック (1997年の映画)』『ウィリアム・マクマスター・マードック』『細野正文』にあたって確認しました。細野正文をめぐる記述は、同記事が挙げる庄司浅水『海の奇談』(社会思想社、1961年)およびジャーナリスト安藤健二の調査、『週刊文春』1997年12月18日号などの報道によります。
実在の事故を扱うため、犠牲者がどのように亡くなったかの描写は行っていません。本人の判断として記録されている事柄のみを、出典の記述の範囲で扱っています。細野正文に関する論争についても、出典が対立している状態をそのまま示し、どちらかを事実として断定していません。

おすすめの記事