ターミナルは実話か|映画は一度も実話と名乗っていません

※この記事にはプロモーションが含まれています。

映画『ターミナル』には、モデルになった人がいる。

そう紹介されることの多い作品です。
パリの空港で長く暮らした男性の話が元になっている、と。

ところが出典を戻していくと、映画の側は一度もそう名乗っていないことが分かります。

それだけではありません。
映画の前提と、記録に残っている経緯が、正反対でした。

映画のビクターは、空港から出られません。
現実に起きたことの記録は、出られるようになったあとの話を含んでいます。

この記事では、映画のクレジット・当時の報道・本人の自伝を出典まで戻して、確認できることと確認できないことを分けます。

結論:確認できるのは5つ、確認できないのは3つ

論点 判定 根拠
映画が「実話に基づく」と表示しているか していない クレジット・宣伝資料に記載なし
宣伝資料はモデルに触れているか 触れていない The Guardian 2004年9月6日
権利は買われたか 買われた The New York Times 2003年9月21日
本人は空港から出られたか 1999年に書類が出た 本人が署名を拒んでいる
同じ話の映画は他にあるか 11年前にフランスで 『パリ空港の人々』1993年
支払われた金額 確認できない 報道が「数十万ドル」までしか書いていない
製作陣が本人に会ったか 確認できない 対面したという記録が無い
空港を出なかった理由 確認できない 本人が語った理由しか記録に無い

順番に見ていきます。

「実話に基づく」とは、どこにも書かれていません

実話を元にした映画には、たいてい表示が付きます。
「Based on a true story」「Inspired by true events」です。

『ターミナル』には、それがありません。
本編のクレジットにも、劇場用ポスターにも、公式の宣伝資料にも見当たりません。

クレジットに載っているのは、次の名前です。

区分 クレジット
監督 スティーヴン・スピルバーグ
原案(Story by) アンドリュー・ニコル/サシャ・ガヴァシ
脚本(Screenplay by) サシャ・ガヴァシ/ジェフ・ナサンソン

モデルとされる人物の名前は、どちらにもありません。

これは推測ではありません。当時、本人と1年近く過ごした映画作家が、公開直後の記事にはっきり書いています。

映画の宣伝資料は、アルフレッドにまったく触れていなかった。彼らは距離を取っていた
ポール・ベルクゼラー/The Guardian「The man who lost his past」2004年9月6日(原文英語・筆者訳)

原文は「publicity material for the film didn't mention Alfred at all; they were distancing themselves」です。
距離を取っていた、と当時の記事が書いています。

それでも、権利は買われていました

名前を出していないのに、権利は取得されています。

2003年9月21日、The New York Times が、ドリームワークスが本人の人生の物語の権利を購入したと報じました。記者はマシュー・ローズ、見出しは「Waiting for Spielberg」です。

権利は買った。金も払った。しかし宣伝には出さない。

金額は、はっきりしていません

日本語の記事では「25万ドル」という数字をよく見ます。
ただ、その根拠としてよく挙げられるThe Guardianの記事には、こう書かれているだけです。

どうやらアルフレッドは、自分の人生の物語の対価として数十万ドルの小切手を受け取っていたらしい
ポール・ベルクゼラー/The Guardian、2004年9月6日(原文英語・筆者訳)

原文は「Apparently Alfred had received a cheque of several hundred thousand dollars for his life story」です。

金額は特定されておらず、冒頭に「どうやら(Apparently)」が付いています。
筆者が当たった範囲では、金額を確定できる一次資料に辿り着けませんでした。25万という具体的な数字がどこから来たのかも、確認できていません。

1992年、追い出すことも、入れることもできなくなりました

ここから先が、映画とずれていく部分です。

本人が空港に留まり始めたのは1988年8月26日。ロンドンのヒースロー空港で入国を拒まれ、パリへ送り返された日です。滞在した場所は、シャルル・ド・ゴール空港の第1ターミナルでした。

その前史も記録に残っています。

ついに1981年、ベルギーが彼に難民資格と身分証明書を与えた
ポール・ベルクゼラー/The Guardian、2004年9月6日(原文英語・筆者訳)

その書類がなくなった経緯については、同じ記事が2つの説を併記しています。

盗まれたのだ、という説。
そして本人が当局に送り返したのだ、という説です。後者について、記事は本人の言葉を「a moment of folly(一時の気の迷い)」として書き留めています。

1992年、フランスの司法はこう判断しました。

  • 合法的に到着しているので、空港から強制的に退去させることはできない
  • 身元と有効な書類が無い以上、フランスへの入国を許可することもできない

追い出せないが、入れることもできない。
映画のビクターが置かれる状況と、ここまではよく似ています。

1999年、書類は出ました

映画と決定的に違うのは、ここから先です。

人権派の弁護士クリスチャン・ブルゲが、この件を引き受けていました。
そして10年にわたる法廷闘争のすえ、1999年、フランス政府から滞在許可証と渡航文書が発行されます。

空港を出て、フランスに住むことができる。
書類の上では、それが可能になりました。

The Guardian の記事は、その先をこう書いています。

著名な弁護士がアルフレッドの件を引き受け、身分証明書と移動する権利を勝ち取るために10年の法廷闘争を戦った。ところが、そのあとアルフレッドは空港を離れることを拒んだ
ポール・ベルクゼラー/The Guardian、2004年9月6日(原文英語・筆者訳)

原文の一文は「But then Alfred refused to leave the airport」です。

出られなかったのではなく、出なかった。

本人が拒んだ理由として記録されているのは、書類の記載内容です。
発行された書類には氏名が「マーハン・カリミ・ナセリ」、国籍が「イラン」と書かれていました。本人はそれを認めず、署名しませんでした。

弁護士は説得を続けましたが、最終的に弁護人を辞任しています。

なぜ本人がそう主張したのかについては、この記事では扱いません。実在の個人の内心や健康状態に踏み込むことになるためです。書けるのは、書類が出たこと、署名されなかったこと、その理由として本人が挙げたのが氏名と国籍の記載だったこと、ここまでです。

自伝は、本名では出ていません

2004年、空港に滞在したまま、本人の回想録が出版されました。

項目 内容
書名 The Terminal Man
著者名義 Alfred Mehran/アンドリュー・ドンキン(共著)
出版社 Corgi Books(ロンドン)
刊行 2004年6月・ペーパーバック
ISBN 978-0552152747

著者名義が、本名ではありません。
1999年に署名を拒んだ書類に書かれていたのと、まさに同じ論点が、本の表紙にも表れています。

映画公開当時の本人の言葉も、同じ記事に残っています。

そう、映画のおかげでアメリカへの関心が高まった。それはとても良いことだ
ポール・ベルクゼラー/The Guardian、2004年9月6日(原文英語・筆者訳)

なお、空港の中に映画館はありませんでした。

同じ話は、11年前にフランスで映画になっていました

『ターミナル』が初めての映画化ではありません。

『パリ空港の人々』 『ターミナル』
公開 1993年・フランス/スペイン 2004年・アメリカ
監督 フィリップ・リオレ スティーヴン・スピルバーグ
主演 ジャン・ロシュフォール トム・ハンクス
原題 Tombés du ciel The Terminal

両作品のあいだに、著作権をめぐる訴訟の記録は見当たりません。
公になっている出来事から着想を得て別の脚本を書くことは、それ自体が争いになるものではないためだと考えられます。

空港も、国も、映画とは違います

映画の舞台はニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港です。
記録に残る出来事の舞台は、パリのシャルル・ド・ゴール空港・第1ターミナルでした。

主人公の母国クラコウジアは架空の国です。実在の国を指しているという公式の説明はありません。ただ、細部には実在の要素が入っています。

  • ビクターが話す言葉はブルガリア語が土台になっている
  • 旅券の国章はベラルーシの国章の意匠を変えたもの
  • 劇中のニュース画面に映る地図の輪郭は北マケドニアの国境線と重なる

撮影自体も空港では行われていません。カリフォルニア州パームデール空港の格納庫に、実寸大のセットが建てられています。

スピルバーグとトム・ハンクスが本人に会ったという記録は、見つかりませんでした。

まとめ

『ターミナル』は実話か。
この問いに一言で答えるなら、権利書の上でだけ実話で、画面の上ではほとんど実話ではない、ということになります。

  • 映画は一度も「実話に基づく」と名乗っていない
  • 宣伝資料はモデルに触れず、当時の記事は「距離を取っていた」と書いている
  • それでも権利は買われ、金は払われた
  • 金額は確定できない(報道は「数十万ドル」+伝聞)
  • クレジットに本人の名前は無い
  • 1999年に書類は出ており、本人が署名を拒んでいる
  • 同じ話は11年前にフランスで映画化されている

「どこまでが実話か」という問いの立て方が、そもそも成立していません。

空港での滞在は2006年7月に終わりました。健康状態の悪化による入院措置でした。
本人は2022年11月12日、シャルル・ド・ゴール空港の第2Fターミナルで亡くなっています。長く暮らした第1ターミナルとは、別の場所です。

よくある質問

映画『ターミナル』は実話ですか?

映画自身は「実話に基づく」と表示していません。クレジットにも宣伝資料にもモデルへの言及がありません。一方で、ドリームワークスがモデルとされる人物から人生の物語の権利を購入したことは、2003年9月21日のThe New York Timesが報じています。

モデルになった出来事はどこで起きましたか?

パリのシャルル・ド・ゴール空港の第1ターミナルです。映画の舞台であるニューヨークのJFK空港ではありません。

なぜ空港から出られなかったのですか?

当初は書類がなかったためです。1992年にフランスの司法が「強制退去はできないが入国も許可できない」と判断し、行き場のない状態が続きました。ただし1999年には滞在許可証が発行されており、それ以降は法的な障壁ではありません。本人が書類への署名を拒みました。

いくら支払われたのですか?

確定できません。よく引かれるThe Guardianの記事は「数十万ドルの小切手」と書いているだけで、金額を特定していません。しかも「どうやら」という伝聞の形です。

「17年間」「18年間」と書かれているのはどちらが正しいですか?

滞在は1988年8月26日から2006年7月までで、約17年11か月です。満年数で数えれば2005年8月に17年を迎えます。当時の報道は時点によって「16年」「17年」「18年」を使い分けており、どれかひとつが正しいというより、いつ数えたかの違いです。

同じ話の映画は他にありますか?

1993年のフランス映画『パリ空港の人々』(原題 Tombés du ciel/フィリップ・リオレ監督)があります。『ターミナル』の11年前です。

この記事は、映画『ターミナル』と実際の出来事の記録を、それぞれ出典まで戻して確認したものです。
The Guardian の記事は本文にあたって確認し、英文からの訳は筆者によるものです。原文も併記しました。
「確認できなかった」と書いた箇所は、当記事で当たった資料の範囲での話です。有料記事や未見の文献に記述がある可能性は残ります。断定はしていません。
モデルとされる人物の健康状態・内心・家族に関する記述は、意図的に扱っていません。

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