
『八つ墓村』のモデルは、岡山県で実際に起きた津山事件です。
ここまでは、どこにでも書いてあります。
ただ、横溝正史が本当にその事件から借りたものは、思っているよりずっと少ないです。
借りたのは書き出しと、犯人の身なりの想像図。それだけです。
そして舞台は、本人が意図的に遠くへずらしています。
以下、出典にあたって整理します。
まず、津山事件とは何か
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 発生 | 1938年(昭和13年)5月21日 1時40分ごろ |
| 場所 | 岡山県苫田郡西加茂村大字行重(現在の津山市加茂町行重) |
| 加害者 | 都井睦雄(事件当時21歳) |
| 死者 | 30名(即死28名、発見時重傷で後に死亡2名) |
| 負傷 | 重軽傷者3名 |
通称「津山三十人殺し」。作品より11年前に、実際に起きた事件です。
横溝正史が借りたもの
『八つ墓村』が生まれる経緯は、横溝自身が書き残しています。
まず、作品の構想が先にありました
出発点は事件ではなく、小説の技術的な関心でした。
農村を舞台にできるだけ多くの殺人が起きる作品を書きたいと考えていた横溝は、坂口安吾の『不連続殺人事件』を読み、それがアガサ・クリスティー『ABC殺人事件』の複数化であることに気づきます。この方法なら一貫した動機で多数の殺人が容易にできる——そこから構想が始まりました。
つまり「たくさん人が死ぬ話を書きたい」が先で、津山事件は後から来ています。
事件は「書き出し」として使われました
「書き出しに当たって」。本編の構造ではありません。
横溝は本格探偵小説の骨格は崩したくなかったものの、掲載誌『新青年』が大衆娯楽雑誌の傾向を強めていたことから、スケールの大きな伝奇小説を書こうと考えます。そこでこの事件が「かっこうの書き出しになる」と気がついたと述べています。
犯人の身なりは、デパートの展示から借りています
もう1つ、具体的に借りたものがあります。
デパートの防犯展覧会に出ていた、想像図です。
現場写真でも記録でもありません。展示用に描かれた絵を見て、あの異様な姿を作っています。
舞台は、わざと遠くへずらされています
ここがいちばん重要です。
「八つ墓村はどこがモデルなのか」という問いに、横溝本人が答えを出しています。
意図的に外してある。探しても事件の村とは一致しません。
では舞台はどこから来たのか。これも記録があります。
| 要素 | 出所 |
|---|---|
| 村 | 『獄門島』の風物を教示した加藤一に、伯備線の新見駅の近くの村を教えてもらった |
| 鍾乳洞 | その村に鍾乳洞があると聞き、以前に読んだ外国作品『鍾乳洞殺人事件』を思い出して興味が高まった |
津山ではなく、新見です。県内ではありますが、事件の現場とは別の場所から取られています。
出典はさらに踏み込んで、こう書いています。
津山市は岡山県の北東部、新見市は県の最西端。県内で最も遠い場所へ振ってあります。
作品のなかにも、新見の痕跡があります
出典は、作中の記述そのものからも新見を指摘しています。
| 作中の記述 | 指摘されている点 |
|---|---|
| 八つ墓村の最寄り駅は「伯備線のN駅」 | 執筆当時、伯備線でイニシャルがNの岡山県内の駅は新見駅のみだった(新郷駅の開業は1953年) |
| 「近所の新見で市が立つときには、全国から博労が集まる」 | 作中に登場する千屋牛は、新見市千屋地区のブランド牛 |
地名を隠していません。作品のほうが先に、新見だと言っています。
ロケ地は満奇洞です
映像化のたびに使われている洞窟があります。
満奇洞(岡山県新見市豊永赤馬)。ここも新見です。
ただし1977年版については、こう書かれています。
スクリーンに映るあの洞窟は、約10か所の合成です。実在する1つの場所ではありません。
犯人像も違います
人物の設定も、そのまま持ってきてはいません。
動機も、その後の行動も違う。借りたのは、身なりの想像図と「大量殺人が起きた」という出来事の形だけということになります。
数が合いません
細かいところですが、気づくと引っかかります。
| 人数 | |
|---|---|
| 津山事件の死者 | 30名 |
| 横溝の書き方 | 「村人32人殺し」 |
| 作中の田治見要蔵による被害 | 32人 |
出典は横溝の言葉として「村人32人殺し」と書いており、作中の人数も32人です。実際の津山事件は30名。
2人ぶん、ずれています。この差が意図的なのか、当時の情報によるものなのかは、本記事で当たった出典では確認できませんでした。
タイトルは『七つ墓村』になるはずでした
最後に、あまり知られていない話をひとつ。
横溝は当初、作品名を『七つ墓村』にするつもりでした。
変えた理由が、拍子抜けするほど実務的です。
掲載誌『新青年』の編集者だった高森栄次に、横溝本人がそう述べています。
読み間違えられそうだから、1つ増やした。日本ミステリー史に残るタイトルの由来が、これです。
落武者伝説のほうは、作品の設定です
『八つ墓村』のもう一つの柱である落武者伝説は、津山事件とは別系統です。
作中の設定はこうなっています。戦国時代の1566年(永禄9年)、山中の寒村に尼子氏の家臣だった8人の落武者が財宝とともに逃げ延びてくる。村人は毛利氏の捜索を恐れ、また財宝に目がくらんで武者たちを殺してしまう。武者大将は「七生までこの村に祟ってみせる」と言い残す——。
その後、祟りを恐れた村人が武者たちを手厚く葬って村の守り神とし、それが「八つ墓明神」となった、という由来です。
この部分に、実際の事件は関係していません。津山事件から来ているのは、あくまで大正時代の32人殺しのくだりです。
津山事件をモデルにした作品は、これだけではありません
出典には「モデルとなった作品」の一覧があり、17本が並んでいます。主なものを挙げます。
| 作品 | 出典の記載 |
|---|---|
| 『八つ墓村』(1949〜) | 本事件をモデルとした最古の作品 |
| 『砂の器』(松本清張・1960〜) | 松本が津山三十人殺しについて記したドキュメント「闇に駆ける猟銃」から引用した作品 |
| 『丑三つの村』(西村望・1981) | 1983年に映画化。公開前に映倫が「全編が残虐で非道的」と判断し、18歳未満の観覧を禁止する成人映画に指定された |
| 『SIREN』(2003・ゲーム) | 作中に「××村三十三人殺し」という都市伝説が登場 |
| 『ゴールデンカムイ』(2014〜) | 「三十三人殺しの津山」と呼ばれる人物が登場 |
作品ごとに、人数がずれています
並べると気づきます。
| 人数 | |
|---|---|
| 実際の津山事件 | 30名 |
| 『八つ墓村』 | 32人 |
| 『SIREN』 | 33人 |
| 『ゴールデンカムイ』 | 33人 |
どの作品も、実際の数字をそのまま使っていません。
理由は出典に書かれていないので断定できませんが、そこだけずらすという扱いが共通しています。
なお『ゴールデンカムイ』については、どこまで史実かを出典にあたって整理した記事も書いています。
よくある質問
八つ墓村のモデルは津山事件ですか?
そうです。ただし横溝が借りたのは作品の書き出しの部分と、加害者の身なりの想像図です。本編の探偵小説としての構造は、坂口安吾『不連続殺人事件』から得た着想が出発点になっています。
八つ墓村の舞台になった村は実在しますか?
事件のあった村とは一致しません。横溝が「わざと事件のあった村よりはるか遠くに外しておいた」と述べています。舞台の着想は伯備線の新見駅近くの村から得たものです。
鍾乳洞のモデルはどこですか?
構想の段階では、新見駅近くの村にある鍾乳洞の話が発端でした。映像作品のロケ地としては満奇洞(岡山県新見市豊永赤馬)が1977年の映画以降くり返し使われています。ただし1977年版の洞窟は、満奇洞や秋芳洞を含む約10か所を1つに仕立てたものです。
津山事件はいつどこで起きたのですか?
1938年5月21日の未明、岡山県苫田郡西加茂村大字行重(現在の津山市加茂町行重)です。死者30名、重軽傷者3名。
作中の32人と実際の30人はなぜ違うのですか?
本記事で当たった出典では確認できませんでした。横溝自身が「村人32人殺し」と書いており、作中の人数も32人です。理由の断定は避けます。
まとめ
「モデルは津山事件」は正しい。ただし、借りた範囲は限定的です。
書き出しと、デパートの防犯展覧会に出ていた想像図。その2つです。
舞台は本人が意図的にずらし、鍾乳洞は別の村から取り、人数も2人ぶん違います。そしてタイトルは、読み間違いを避けるために1つ増やされました。
実際の事件を下敷きにしながら、重ならないように作られています。
本記事の事実関係は、日本語版Wikipediaの『八つ墓村』『津山三十人殺し』および『満奇洞』にあたって確認しました。横溝正史の発言は、同記事が出典として挙げる『真説 金田一耕助』(1979年)および高森栄次『想い出の作家たち-雑誌編集50年-』によります。
実在の事件を扱うため、被害者・関係者の個人にかかわる記述は行っていません。作品のあらすじも、由来の説明に必要な範囲を超えて記載していません。

