
『南極物語』は実話をもとにしています。ただし撮影の大半は南極ではありません。
出てくる犬も、樺太犬ではありません。
そして「鎖につないだまま置いていけ」という指示は、犬を見捨てるための指示ではありませんでした。
出典にあたって整理します。
作品の骨格
先に枠組みだけ確認します。あらすじの詳細には立ち入りません。
| 公開 | 1983年。監督 蔵原惟繕、主演 高倉健 |
| 製作 | フジテレビと学習研究社の共同製作。配給は日本ヘラルド映画と東宝 |
| 題材 | 1958年に昭和基地へ残された15頭の樺太犬と、1年後に生存が確認されたタロとジロ |
| 興行 | 1200万人動員、配給収入61億円。当時の日本映画の歴代1位 |
| 音楽 | ヴァンゲリス |
配給収入の記録は長く破られませんでした。
1980年の『影武者』を抜いて1位になり、1997年の『もののけ姫』まで、実写映画としては2003年の『踊る大捜査線2』に抜かれるまでその座にありました。
この企画は、各社に断られています
意外に思われるかもしれませんが、この映画は簡単には成立していません。
発端は監督の蔵原惟繕と、弟でプロデューサーの蔵原惟二です。『キタキツネ物語』の後、惟二が「タロとジロの話は出来ないだろうか」と持ちかけました。蔵原の返事は「面白いけど実現のリアリティはないぞ、何しろ膨大な話だからな」。
企画が動き出したのは1980年12月です。
東映社長の言葉
蔵原兄弟はフジテレビに26話のテレビシリーズとして持ち込み、担当の角谷優が劇場映画を提案しました。ただしフジテレビだけでは製作費が出ません。
角谷は東映の岡田茂社長を訪ねます。
門前払いでした。東宝にも松竹にも断られています。
各テレビ局にも持ち込みましたが「テレビ会社は既成の優良作品は喜んで放映させてもらいますが、映画製作は致しません」と断られました。フジテレビのトップからも却下されています。
半分を出したのは、学習研究社でした
周囲からも諦めるよう言われた角谷は、2〜3か月あちこちの会社を訪ね、人の紹介で学習研究社の古岡秀人会長に会います。
学研が半分を出すと決めたことで、フジテレビも動きました。
撮影の大半は、南極ではありません
ここが最初の大きな事実です。
提案したのは、モデルになった本人でした
昭和基地のセットをどこに建てるか。文部省は協力しないし、外国の基地も協力してくれない。自分たちで南極に設営するのは危険すぎる。
そこで菊池徹が提案します。第1次越冬隊の犬係で、高倉健が演じた潮田暁のモデルになった人物です。当時はカナダで鉱山開発のコンサルタントをしていて、極地の土地勘がありました。
「カナダの北極で撮影しましょう」。蔵原は「南極の話を何で北極で?」と不思議な顔をしたと記録されています。
監修の村山雅美も北極案に賛成しました。メインロケ地は北極圏のカナダ・レゾリュートに決まります。人口150人ほどの町で、植村直巳や和泉雅子がベースキャンプにした場所です。北緯80度線あたりの景色が、南極に似ていました。
南極に行ったのは、4人だけです
では南極ロケは何だったのか。
きっかけは蔵原の「健さんとペンギンが一緒に映った映像を撮りたい」という希望でした。1982年10月、高倉健と蔵原とカメラマン2人の、合計4人だけで行っています。
キャストで南極に行ったのは高倉健だけです。高倉は北極に3か月、南極に1か月いました。
ほかに京都の祇園祭、北海道の稚内と紋別、アラスカ州ノームでも撮っています。飛行距離は約14万キロ。地球を3周半した計算で、足かけ1年5か月の撮影でした。
犬も、樺太犬ではありません
もうひとつ大きな事実です。
1983年の時点で、樺太犬はもう揃えられませんでした。
『タロとジロ』の記事はさらに具体的で、アラスカン・マラミュート、シベリアン・ハスキー、サモエド、グリーンランド・ドッグ、カナディアン・エスキモー・ドッグで代用したと書いています。
800頭と面接して、22頭
犬の調達も相当なものでした。
蔵原とドッグトレーナーが北極圏中を探し回り、約800頭と面接して、タロとジロに似た犬を見つけています。合計22頭を調達し、一頭ずつ性格を見極めて、出演する15頭を選びました。
演技の調教は、一切していません
調教はカナダのイエローナイフで行われました。ただし出典はこう書いています。
そのため犬たちの撮影だけで120時間カメラを回しています。
自由にさせるだけでは撮れない場面もありました。犬が倒れる場面は麻酔薬を使い、首輪抜けの場面は腹を空かせてから首輪をつけて近くに餌を置いています。デリーがアザラシに海中へ引きずり込まれる場面はスタジオのプールで、水中のスタッフが鎖を引っ張りました。
氷の割れ目から魚が飛び出す場面について、出典は「実際にこのようなことは無いという」と書いています。犬は魚の臭いをかいただけで顔をそむけたため、4〜5日絶食させ、魚にバターを塗って食べさせました。すぐ吐き出したので、咥えた瞬間の絵を使っています。
余談ですが、タロとジロに襲いかかるシャチは、和歌山県白浜町のアドベンチャーワールドで飼育されていた「弁慶」です。
「犬は何頭死んだんだ?」への答え
この映画について、当時よく聞かれた質問があります。角谷プロデューサーが答えを残しています。
犬の死体は、エスキモー部落で集めてきたものに化粧して似せていました。
危なかったのは、人間のほうです
一方で、人間は何度も危ない目に遭っています。
昭和基地のセットとロッジは4〜5キロしか離れていませんでした。ところがブリザードが吹くと地形がまったく変わり、磁極に近いので方位磁石も使えません。
高倉健が、一足早くロッジへ向かう途中で迷子になりました。2時間経っても戻らず大騒ぎになり、発見されたときには車のバッテリーが尽きかけ、車内は冷え切っていたと記録されています。
蔵原監督のほうは、1981年11月の南極ロケで暴風雨に遭い、10メートルほど投げ飛ばされて船の鉄壁に叩きつけられています。医者に見せたら製作が流れると恐れ、テーピングして撮影を続けました。帰国後の診断は肋骨2本骨折、背骨の横の突起が3本粉々でした。
「鎖につないだまま」は、見捨てる指示ではありません
ここから史実の側に移ります。
1958年2月、第2次越冬隊を乗せた「宗谷」は悪天候で昭和基地に到着できませんでした。基地に入れていたのは先遣隊3名だけです。
2月14日、永田隊長からの最後通告が記録に残っています。
「鎖につないだまま」は、次に越冬するときに使うために、犬を野犬化させないための指示でした。
このとき誰も、1年間放置されることになるとは考えていません。
連れ帰ろうとして、飛べませんでした
3人は、南極生まれの子犬8頭と母犬のシロ子だけは連れ帰ることにしました。
ところが荷重超過で機が離陸できません。森松整備士が不時着用の燃料と食料を降ろすという機転で、ようやく帰船できました。15頭は首輪でつながれたままです。
その後、18日と19日に再突入を試みますが、風速30メートルを超える暴風雪で探照灯と電話アンテナがもぎ取られました。
最後にはせめて安楽死させようとヒ素入りステーキを準備しています。ただし飛行機が飛び立てる海面がありませんでした。
2月24日、南極本部から第2次越冬・本観測を放棄せよという命令が下ります。
隊は、激しい非難を浴びました
出典は簡潔に書いています。
同じ年の7月、大阪府堺市に15頭を供養する樺太犬慰霊像が建てられました。日本動物愛護協会は、開業したばかりの東京タワーに15頭の記念像を設置しています。製作したのは忠犬ハチ公像の彫刻家・安藤士でした。この像は2013年に国立極地研究所へ移されています。
史実の願いは、毒殺ではありませんでした
映画には、潮田が最後の飛行機で基地へ行き、犬たちを毒殺してくることを願い出て却下される場面があります。
モデルの菊池徹が実際に願い出たことは、違いました。
殺しに行かせてくれ、ではなく、一緒に残らせてくれでした。
再会は、走り寄ってきていません
映画のクライマックスについても記録があります。
第3次隊で再会を果たした北村泰一が、「南極観測隊OB会報」に実際の様子を寄稿しています。
生存確認そのものの経緯も、劇的とは言いがたいものです。1959年1月14日、ヘリコプターが上空から2頭を確認しました。着陸すると駆けてきて操縦士に寄ってきましたが、どの個体か分かりませんでした。
急遽、北村が次の機で基地に向かいます。犬たちは北村に対しても警戒していました。北村は1頭の前足の先が白いのを見て「ジロ」ではないかと考え、名前を呼びます。反応して尻尾を振りました。もう1頭も「タロ」の発声に反応しました。
隊員の名前だけが、変えてありました
制作には当事者が深く関わっています。監修は第1次観測隊に参加した村山雅美。菊池徹、北村泰一、西堀栄三郎の3人も資料提供などで協力しました。
登場する犬の性格は、犬係だった菊池と北村が記録したノートから作られています。
その菊池が、公開初日に気づいたことがあります。
犬の名前も昭和基地も年月日も事実どおりなのに、隊員の名前だけが架空でした。
肖像権への配慮と聞かされ、菊池は憤慨したと記録されています。実名を出すと肖像権が発生するから、という説明でした。
もうひとつ、映画と史実が違う点があります。作中では潮田と越智の2人が第3次隊に参加して再会しますが、菊池は3次隊に参加していません。再会したのは北村ひとりです。
「倉持」は、この映画の役名ではありません
検索でよく見かける混同を整理しておきます。
倉持という役名は、映画『南極物語』には出てきません。
倉持岳志は、2011年にTBSで放送されたドラマ『南極大陸』で木村拓哉が演じた主人公の役名です。
| 映画『南極物語』(1983年) | ドラマ『南極大陸』(2011年) | |
|---|---|---|
| 犬係の主人公 | 潮田暁(高倉健) | 倉持岳志(木村拓哉) |
| 相棒の若手隊員 | 越智健二郎(渡瀬恒彦) | 氷室晴彦(堺雅人) |
| モデル | 潮田・倉持ともに菊池徹/越智・氷室ともに北村泰一 | |
同じ実在の人物をモデルにした、別の作品の別の役名です。
タロとジロは何を食べていたのか
ここは注意が要ります。よく語られる説明を、北村泰一自身が後に否定しています。
最初に語られた説
基地には犬の食料が残っていましたが、手をつけた形跡はありませんでした。死んだ仲間を食べた形跡もありません。そこで当初は、アザラシの糞やペンギンを食べていたのだろうと推測されました。
北村らは第3次隊の越冬中に、2頭がアザラシに襲いかかる所や食料を貯蔵する所を実際に目撃してもいます。
ところが、北村はこれを否定しました
理由が具体的です。
| 指摘 | 内容 |
|---|---|
| ペンギン | 襲うことはあっても食べることはまずなかった |
| アザラシ | 糞は好んで食べたが、襲う際に海水に落ちる危険がある |
| 犬用食料 | 第2次隊が給餌しやすいよう開梱した状態で残されていたのに、全く手がつけられていなかった |
容易に食べられる食料に手をつけていないのに、危険な方法を優先したとは考えがたい。それが北村の指摘です。
そのうえで挙げ直した候補が3つあります。
| 候補 | |
|---|---|
| 1 | 海水に浸かったため天然冷凍庫内に放棄されていた人間用食料(人間には臭くて食べられなかったが、犬は好んで食べた) |
| 2 | 第1次隊が犬ゾリ調査旅行の際にデポに残した食料 |
| 3 | 調査旅行の際に発見されたクジラの死骸 |
なおこの兄弟は、特に首輪抜けが得意な個体だったと言われています。
リキ
生存確認のとき、基地には7頭が首輪につながれたまま息絶えていました。他の6頭の消息は分かりませんでした。
その1頭が、9年後に見つかります。
1968年、昭和基地のそばの解けた雪の中から樺太犬の死骸が発見されました。灰色で短毛という特徴から、行方不明だった6頭のうちリキと思われました。
リキは7歳で、15頭のなかで最年長でした。
ここは「推測している」であって、確定した話ではありません。
タロとジロのその後
2頭の生涯は、対照的でした。
| タロ | ジロ | |
|---|---|---|
| その後 | 第4次越冬隊と共に1961年5月4日に4年半ぶりに帰国 | 昭和基地に残り、第4次越冬中の1960年7月9日に病死 |
| 没年齢 | 1970年8月11日、老衰で14歳7か月 | 5歳 |
| 剥製 | 北海道大学植物園 | 国立科学博物館 |
タロは札幌の北海道大学植物園で、犬飼哲夫の弟子である阿部永らが飼育しました。1961年5月26日には、昭和天皇と香淳皇后が植物園を訪れて視察しています。
剥製は長く別々でしたが、1998年に稚内市青少年科学館で開かれた「タロ・ジロ里帰り特別展」で、初めて同じ場所に並びました。
当時の批評は、辛口でした
これだけ当たった映画ですが、公開時の評は手放しではありません。
松田政男も「犬たちの行動を人間の想像力の域内に閉じ込めるのは傲慢でないか」と書いています。
感動作として記憶されている作品ですが、当時から同じ問いが出ていました。
記録
数字を整理しておきます。
| 動員・配給収入 | 1200万人/61億円。当時の日本映画の歴代1位 |
| 前売り券 | 記録的な240万枚。学研と協力して全国の家庭にも販売 |
| 文部省特選 | 少年・青年・成人・家庭向けの4部門。映画館のない地域でもPTAや教育委員会がホール上映した |
| 音楽 | ヴァンゲリス。『炎のランナー』でアカデミー賞を受賞した直後で、邦画を数本撮れるほどのギャラを提示された |
本作の成功は『ビルマの竪琴』『子猫物語』へ続き、1980年代以降のフジテレビ製作映画の起点になりました。
よくある質問
南極物語は実話ですか?
骨格は実話です。1958年に15頭の樺太犬が昭和基地に残され、1年後にタロとジロの生存が確認されたことは事実です。ただし人間のドラマ部分には大きな脚色があり、再会した隊員の数も、その様子も、史実とは違います。
撮影は南極で行ったのですか?
大半は南極ではありません。メインロケ地はカナダの北極圏レゾリュートで、提案したのは菊池徹本人でした。南極には1982年10月に高倉健と監督とカメラマン2人の4人だけが行き、ペンギンと犬ぞりのカットなどごく一部を撮っています。
撮影で犬は死んだのですか?
角谷プロデューサーが「もちろん一頭も死んでいません。人命や犬命を損なうことも、大きな事故もなかった」と答えています。劇中の犬の死体は、エスキモー部落で集めてきたものに化粧して似せたものでした。
なぜ犬を置き去りにしたのですか?
天候の悪化で第2次越冬が中止になったためです。永田隊長の指示は「越冬には樺太犬が必要なので野犬化したり、共食いしたりしないよう、必ず鎖につないだまま帰船してほしい」というもので、次の越冬で使うことが前提でした。子犬とその母犬は連れ帰ろうとしましたが、荷重超過で機が離陸できませんでした。
タロとジロは何を食べていたのですか?
分かっていません。アザラシの糞やペンギンという説が広まりましたが、北村泰一が後に否定しています。犬用食料が開梱された状態で残っていたのに手つかずだったことが理由です。北村は代わりに、放棄されていた人間用食料、デポに残した食料、クジラの死骸を候補に挙げています。
まとめ
この映画は、南極でほとんど撮っていません。犬も樺太犬ではありません。企画は東映にも東宝にも松竹にも断られ、学研の会長が半分を出したことで動き出しました。
それでも、当時の日本映画の歴代1位になりました。
一方で史実の側は、映画よりも静かです。隊員が願い出たのは犬を殺しに行くことではなく、一緒に残ることでした。再会したのは1人で、犬は走り寄ってきませんでした。10分以上、数メートルの間隔を保ったままだったと記録されています。
そして、タロとジロが何を食べていたのかは、いまも分かっていません。
同じく極寒の地を舞台にした実話の検証としては、『八甲田山』が実話かを出典にあたって整理した記事もあります。高倉健が『南極物語』の出演を打診されたとき、寒いロケが続いていた例として自ら挙げた作品のひとつです。
本記事の事実関係は、日本語版Wikipediaの『南極物語』『タロとジロ』『樺太犬』『南極地域観測隊』『北村泰一』『蔵原惟繕』にあたって確認しました。
作中の設定と史実は区別して記載し、作中の描写を史実として示さないようにしています。実在の人物については、出典が記す事実の範囲を超えた評価を加えていません。

