
『アルキメデスの大戦』の主人公・櫂直は架空の人物です。あの査問会議も実際にはありません。
ですが、「見積もりの偽装」だけは史実です。
しかも記録に残っているのは、作中よりも手の込んだやり方でした。架空の駆逐艦3隻と、架空の潜水艦0.5隻分の予算が計上されています。
出典にあたって整理します。
作品の骨格
先に、話の枠組みだけ確認します。あらすじの詳細には立ち入りません。
| 原作 | 三田紀房の漫画(講談社「ヤングマガジン」連載) |
| 映画 | 2019年公開。第32回日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞を受賞 |
| 舞台 | 映画を原案とした舞台版も上演されている |
| 題材 | 1930年代の海軍における新型巨大戦艦の建造計画をめぐる攻防 |
中心にあるのは戦闘ではなく、会議と数字です。
発想のきっかけは、新国立競技場でした
まず、この作品がどこから生まれたか。原作者の三田紀房が語っています。
きっかけは、国立霞ヶ丘競技場陸上競技場の改修関連のニュースでした。
この作品の出発点は、戦争ではなく「工事の見積もり」でした。
なお三田は『ドラゴン桜』以前にこの構想を練っていたものの断念し、代案として出したのが『ドラゴン桜』だったと述べています。軍隊用語や造船用語には監修者のチェックが入っています。
あの会議は創作です。ただし、検討は始まっていました
作中の査問会議は昭和8年(1933年)に設定されています。史実の流れと並べます。
| 時期 | 史実 |
|---|---|
| 1933年10月1日 | 海軍省の持つ兵力量の策定や平時の指揮権が軍令部に移され、権限が大幅に拡大 |
| 同 1933年 | 軍令部の松田千秋中佐が作戦計画面から、石川信吾中佐が軍備計画面から新型戦艦の検討を始めた |
| 1934年10月 | 軍令部から艦政本部へ「18インチ砲(46cm砲)8門以上、速力30ノット」などの大型戦艦建造要求 |
| 1934年12月29日 | 齋藤駐米大使がハル米国務長官にワシントン条約の単独廃棄を通告 |
| 1935年11月2日 | 中村良三艦政本部長が新型戦艦の設計方針を具体的に指示 |
| 1936年12月26日 | 第七〇回帝国議会が開会。「A140-F5」2隻分の予算が提出される |
| 1937年 | 世界が無条約時代に突入 |
作中の年に、検討そのものは始まっています。
ただし当時はまだ条約の枠内で、戦艦を新造できる状態ではありませんでした。予算が議会に出るのは、それから3年後です。
ただし、二つの案が会議で対決したことは実際にあります
作中の見せ場は、二つの設計案が会議でぶつかる場面です。それに当たる出来事が、作中より4年前に起きています。
提出したのは平賀譲。相手は藤本喜久雄です。
作中の平山と藤岡が、そのまま入れ替わった形で実在しています。会議の年も設定も違いますが、「二人の造船官が案を競う」という骨格は実際にあったものです。
そして先に触れたとおり、大和型にはこの1929年の金剛代艦案の影響が強いと言われています。
「戦艦か空母か」の二者択一もありません
作中では新型戦艦案と新型空母案が競われ、どちらか一方が選ばれます。
史実の第三次海軍軍備補充計画では、大和型戦艦と翔鶴型空母がどちらも計画され、承認されています。一方を切り捨てる選定は行われていません。
見積もりの偽装は、史実です
ここがこの記事でいちばん重要なところです。作中の不正は創作ですが、実際の予算にも細工がありました。
存在しない駆逐艦3隻と、存在しない潜水艦0.5隻。その予算に紛れ込ませています。
目的は金額を安く見せることではなく、予算の規模から艦の大きさを推定されないようにすることでした。
ほかの艦の予算も流用されています
金額の推移も記録に残っています。
| 金額 | |
|---|---|
| A140-F5(2隻分の提出時) | 1隻9800万円 |
| 偽装分を含む実際の予算 | 1億1759万円 |
| A140-F6での承認額 | 1億793万3075円 |
| 実費 | 1億2898万3091円 |
さらに、改装中の金剛型戦艦「比叡」や空母「飛龍」の予算も一部利用されました。
作中の櫂は見積もりの嘘を暴きますが、史実の偽装は議会を通っています。
なお列強は大和型の建造自体は確信していたものの、その規模を40cm砲搭載・4万5000トンクラスと推定していました。実際は46cm砲・基準排水量64,000トンです。
大和という船の数字
作中で争われる「巨大戦艦」が、実際にどうなったか。
| 項目 | |
|---|---|
| 主砲 | 史上最大の46センチ砲3基9門 |
| 基準排水量 | 64,000トン。当時の欧米は条約規定の35,000トン前後の戦艦を建造していた |
| 乗員 | 竣工時2,500名 → 最終時3,332名 |
| 同型艦 | 2番艦「武蔵」。3番艦「信濃」は航空母艦として竣工。4番艦111号艦は1942年に建造中止・解体 |
出典は、この計画の発想を一言でこう記しています。
そして、記録が残っていません
この船については、もうひとつ知られていない事情があります。
予算では大きさを隠し、完成後は存在を隠し、最後は記録ごと焼かれています。
作中で櫂が暴こうとした「隠された数字」は、現実には最後まで隠されたままでした。
登場人物と実在の人物
| 作中 | 実在 |
|---|---|
| 櫂直(菅田将暉) | 架空。出典にモデルの記載なし |
| 平山忠道 造船中将 | 平賀譲 海軍技術中将 |
| 藤岡喜男 造船少将 | 藤本喜久雄 海軍造船少将 |
| 山本五十六・永野修身・嶋田繁太郎 | 実名で登場 |
| 水雷艇「峰鶴」 | 水雷艇「友鶴」 |
平山については、出典がモデルを明記しています。
山本五十六の階級と役職は、史実どおりです
作中の1933年時点で、山本五十六は海軍少将でした。1929年11月30日に少将、中将は1934年11月15日です。
役職の動きはこうなっています。
| 時期 | 役職 |
|---|---|
| 1930年12月1日 | 海軍航空本部技術部長 |
| 1933年10月3日 | 第一航空戦隊司令官(空母「赤城」に座乗) |
| 1935年12月2日 | 海軍航空本部長 |
階級も役職も、作中の設定と合っています。
ただし、民間の数学者を海軍に招いて見積もりの不正を暴かせた、という出来事は記録にありません。航空を重視していた思想的背景は事実ですが、作中の政治的な動きは創作です。
平賀譲は「一歩も譲らなかった」人です
平山のモデルである平賀譲には、有名な異名があります。
平賀不譲(ひらが ゆずらず)。
軍令部からの過剰な兵装要求や設計変更の圧力に、技術的な危険性を指摘して妥協しなかったことに由来します。
大和の設計には、関わっています
平賀は1931年に予備役に入り、三菱造船の技術顧問となっています。作中の1933年時点で、すでに現役の造船中将ではありません。
しかしその後、艦政本部に戻ります。
| 時期 | できごと |
|---|---|
| 1934年4月7日 | 友鶴事件により設置された「臨時艦艇性能調査会」の事務嘱託 |
| 1935年4月1日 | 海軍艦政本部の造船業務嘱託。そのころから大和・武蔵の設計に携わる |
| 1935年10月31日 | 第四艦隊事件により設置された委員会で改正対策を指導 |
| 1936年1月 | 平賀提案による「船体構造電気熔接使用方針」を制定 |
ただし基本計画主任は、別の人です
大和型の基本計画をまとめたのは福田啓二です。出典はこう記しています。
平賀は嘱託として関与し、実務の主任は福田でした。
なお大和型については、1929年に平賀譲が提案した金剛代艦の影響が強いとも言われています。作中で平山が示す設計思想には、こうした背景があります。
藤本喜久雄の最期は、作中と違います
作中では、藤岡が設計した水雷艇「峰鶴」が1934年3月12日に転覆し、藤岡は責任を取って自決します。
出典の注記がこうです。
日付まで史実どおりです。
ただし史実の藤本喜久雄は自決していません。1935年1月9日に急死しており、出典によればそのとき謹慎処分中でした。
二人の対立も史実です
平賀と藤本の関係は、作中の平山と藤岡に重なります。
| 藤本の設計 | 長門型戦艦の排煙逆流問題を「屈曲煙突」で解決。最上型重巡洋艦・初春型駆逐艦などを設計 |
| 平賀の批判 | 「屈曲煙突は戦艦の威容を損ねる」 |
| 世間の反応 | 長門型の艦容は「芋虫煙突」と国民から親しまれた |
| 藤本の設計の問題 | 高性能だったが、ロンドン条約で制約された予定の排水量を大幅に超過し、艦体の強度面で問題を抱えていた |
作中の技術論争は、実在した対立をなぞっています。
実名の人物が、作中で「劣化」させられています
見落とされがちですが、出典が名指しで指摘している箇所があります。永野修身についてです。
作中の永野は「周囲の言動に振り回されやすく、浅慮」とされ、櫂から信用できない人物と見なされます。
実名で登場する実在の人物が、史実より劣った人物として描かれていると、出典が明言しています。
数学監修が付いているのは、舞台版です
「あの数式は本物か」という疑問についてです。
出典のスタッフ表で「数学監修:根上生也」が確認できるのは、映画版ではなく舞台版のクレジットです。同じ表に「軍事監修:後藤一信」も並んでいます。
映画版の数学監修については、本記事で当たった出典では確認できませんでした。
撮影に使われた場所
出典が挙げているロケ地です。海軍を描く作品らしく、実在の近代建築が並びます。
| 場所 |
|---|
| 茨城県笠間市(筑波海軍航空隊記念館)、水戸市(芦山浄水場) |
| 東京都千代田区(法務省旧本館(赤れんが棟)) |
| 神奈川県横浜市(氷川丸) |
| 愛知県名古屋市(名古屋市役所)、三重県桑名市 |
| 京都府舞鶴市(舞鶴赤レンガ倉庫群、旧北吸浄水場配水池) |
| 兵庫県神戸市(神戸税関、海岸ビルヂング、旧乾邸ほか) |
| 広島県呉市(旧呉軍港桟橋、アレイからすこじま付近) |
大和が実際に建造されたのは呉海軍工廠です。撮影でも呉が使われています。
よくある質問
アルキメデスの大戦は実話ですか?
主人公も査問会議も創作です。ただし戦艦大和の建造をめぐる時代背景は史実で、予算の偽装は実際に行われています。架空の駆逐艦3隻と架空の潜水艦0.5隻分の費用が計上され、艦の規模を諸外国に推定されないようにしていました。
櫂直にモデルはいますか?
本記事で当たった出典では確認できませんでした。櫂直は架空の人物です。
平山忠道は実在しますか?
架空ですが、モデルは平賀譲海軍技術中将です。妙高型重巡洋艦などを設計し、「平賀不譲」と呼ばれました。ただし作中の平山が財閥と癒着して不正な見積もりを出すという設定は、創作です。
大和はいつ造られて、いつ沈んだのですか?
呉海軍工廠で1937年11月4日起工、1940年8月8日進水、1941年12月16日就役。1945年4月7日午後2時23分、鹿児島県坊ノ岬沖で沈没しました(天一号作戦・坊ノ岬沖海戦)。左舷に航空魚雷を多数受け、傾斜を復元できずに転覆し、後に爆沈しています。
友鶴事件は本当にあったのですか?
あります。作中の「峰鶴」転覆は、1934年3月12日に実際に起きた友鶴事件が下敷きです。日付も同じです。ただし作中で藤岡が自決するのに対し、モデルの藤本喜久雄は謹慎処分中の1935年1月9日に急死しています。
まとめ
人物も会議も創作です。ただし、偽装だけは本物でした。
作中の櫂は見積もりの嘘を数学で暴きます。史実では、存在しない駆逐艦3隻と潜水艦0.5隻分の予算が計上され、そのまま議会を通りました。暴いた人はいません。
そして発想のきっかけは、競技場の改修費のニュースでした。
この作品が問うているのは、80年前の戦艦のことだけではありません。
同じ時代の軍組織を扱った検証としては、『八甲田山』が実話かを出典にあたって整理した記事もあります。
本記事の事実関係は、日本語版Wikipediaの『アルキメデスの大戦』『大和型戦艦』『大和 (戦艦)』『平賀譲』『藤本喜久雄』『福田啓二』『山本五十六』にあたって確認しました。
作中の設定と史実は区別して記載し、作中の描写を史実として示さないようにしています。実在の人物については、出典が記す事実の範囲を超えた評価を加えていません。

