JIN-仁-のペニシリンは作れるのか|高校生の実験で検証

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「仁 ペニシリン 作れる」で検索した人が知りたいのは、たぶん次のことです。

あれは本当に作れるのでしょうか。それとも、話の都合で作れたことにしているのでしょうか?

先に結論を書きます。

青カビから「抗菌作用のある何か」を取り出すところまでは、実際にできます。
岐阜県立恵那高等学校が平成31年度(2019年度)に公開した研究報告書で、高校生が実際に到達しています。

難しいのは、それがどれだけ効くのかを数字にすることのほうです。
1944年の日本がその数字を出せたのは、取れた物質を結晶にしてからでした。
高校生のほうは、そこまで届いていません。

作中でペニシリンはどう作られたのか

まずTBS公式のあらすじで確認できる範囲を押さえます。

第5話で、花魁の夕霧が重度の梅毒に侵されます。
仁は「特効薬である『ペニシリン』がない今、自分でも治すことはできない」と告げますが、その後「とあるきっかけでついにペニシリンの製造方法を思い出した」とされ、緒方洪庵たちに作り方を説明します(TBS公式・第五話)。

そして第5話のあらすじは、「ついにペニシリンの薬効が確認され−−!?」で終わります。

第6話の冒頭は、こう始まります。

「江戸時代にはなかった『ペニシリン』を作り上げ、梅毒治療に一石を投じた仁」TBS公式・第六話

公式のあらすじには「青カビ」が出てこない

第1期の全11話のあらすじを通しで確認しましたが、「ペニシリン」は9回出てくる一方で、「青カビ」「アオカビ」は1度も出てきません

つまり公式が説明しているのは「作った」という事実までで、どう作ったかの手順は、あらすじの側からは追えません

手順そのものは、公式の別ページに載っている

あらすじには手順がありませんが、同じTBS公式サイトの別ページに載っています。
第5話の撮影を伝える現場レポートに、「天然ペニシリンの抽出過程」としてステップ1から3までの説明があります(TBS公式・現場レポート)。

このページは、撮影の裏側をこう書いています。

「こういった入りくんだシーンの撮影前には監修の先生方に教えを乞い、事前の入念な打ち合わせを欠かしません」

そして工程の説明のあとに、「※危険なマネは、くれぐれもなさらぬようご注意ください。」と添えられています。

この工程を、実際に試した記録があります。
岐阜県立恵那高等学校のスーパーサイエンスハイスクール研究報告書『ペニシリンの抽出』です。
目的の欄には、こう書かれています。

「漫画『JIN-仁-』にある方法でペニシリンを抽出する」岐阜県立恵那高等学校 SSH研究報告書

ただし報告書が工程として書き写している文面は、先ほどの現場レポートの本文とほぼ一語一句そろっています。
参考文献の1件目にもそのページが挙がっており、ほかに村上もとか『JIN-仁-』の2巻・3巻、文部科学省のカビ対策マニュアルなど計5件が並びます。

以下の表で「作中の工程」と呼ぶのは、このTBS公式の現場レポートが公開し、報告書が写し取ったもののことです。

工程 作中の工程(TBS公式・現場レポート)
培養 芋の煮汁と米のとぎ汁を合わせた液体培地に、集めた青カビを移植する
ろ過 陶器の樽の上に、綿をつめたじょうごを置いて培養液を流し入れる
分離 菜種油を注ぎ、樽の中を棒でかき混ぜる。一番下に溜まった水の部分だけを移す
吸着 煮沸消毒して砕いた炭を入れた甕に流し込み、再びかき混ぜる
洗浄 煮沸蒸留した水で不純物を洗い流し、さらに酸性水(お酢と蒸留水)を注ぐ
抽出 重曹を溶かした蒸留水(アルカリ性)を通す
薬効の確認 ブドウ球菌をなすりつけた寒天培地に、抽出液を少しずつたらす

報告書は、この原理をこう説明しています。
ペニシリンは酸性物質で、水には溶けるがヘキサンには溶けないという性質を持ちます。
そこで油と混ぜて水の層を取り、炭に吸着させ、酸性の液で塩基性の不純物だけを流し、最後に塩基性の液で溶かし出すという流れになります。

高校生が「仁の方法で」と掲げて試している

先ほどの報告書は、この製法を実際に試した記録です。
仮説の欄には「『仁』の生成方法でペニシリンは生成できると考えた」とあります。

できたこと

ミカンに生えた青カビから抽出した溶液に、大腸菌(K-12株)に対する抗菌作用が確認されました
市販のペニシリン溶液を対照に置いた比較で、粉状の炭を使ったものは「市販のペニシリンと同じような抗菌作用」を示しています。

つまり「青カビから抗菌物質を取り出す」という筋自体は、否定されていません

できなかったこと

報告書の考察は、培地の話から始まります。

「寒天培地Ⅰでは白色や黒色の異なるカビが多く増殖してしまった。その後行った寒天培地Ⅱによる培養では、青色のカビが培養できた。このことから、アオカビは栄養を多く含む寒天培地上でしか培養できないことが分かった。しかし、そのカビの種類を判断することはできなかった」

得られた物質についても、断定を避けて「ペニシリンとみられる物質」と書かれています。
要旨の最後は「今後はペニシリンの純度を上げることについて考える」です。

そして今後の展望の①番目には、「求めているアオカビ(ペニシリウム・クリソゲヌム)のみを生やす方法を見つける」と書かれています。
狙った種類の青カビだけを育てることは、まだできていません。

そもそも作中の培地は試されていない

ここは押さえておく価値があります。

報告書が取った手順は、ミカンや餅、食パンに生えたカビを純水に混ぜ、その液体を寒天培地に塗るというものです。
カビを増やす工程は、最初から寒天培地です。
芋の煮汁と米のとぎ汁を合わせた液体培地は、一度も試されていません。

そして栄養の乏しい標準の寒天培地では、白色や黒色のカビに負けています。
アオカビとみられるカビを増やせたのは、グルコースや硝酸ナトリウムなどを配合した専用の培地だけでした。

作中の培地で青カビが優勢に育つかどうかは、この報告書からは分かりません。

使われた材料は、江戸時代にあるものではない

高校生が使ったのは、作中の芋の煮汁ではありません。

項目 作中の工程 実験で使われたもの
培地 芋の煮汁と米のとぎ汁 寒天粉末3.5g/グルコース14g/硝酸ナトリウム/硫酸マグネシウム/リン酸二水素カリウム/コーン・スティープ液
菜種油 ヘキサン
お酢と蒸留水 1.0%の酢酸
アルカリ 重曹を溶かした蒸留水 2.0%の炭酸水素ナトリウム
器具 陶器の樽と棒、綿をつめたじょうご 分液ろうと、マグネチックスターラー
検定に使った菌 ブドウ球菌 大腸菌(K-12株)
対照 現場レポートの工程には出てこない 富士フイルム和光純薬社製のペニシリン溶液

重曹と炭酸水素ナトリウムは物質としては同じものですが、使われたのは濃度を2.0%に揃えた試薬です。
作中が液体の煮汁なのに対し、実験は固体の寒天培地でした。

そして効くかどうかを見た相手の菌そのものが違います
原理は同じでも、純度も濃度も条件も違う、ということになります。

1944年の日本も、同じ問いの前で止まっている

実際に日本がペニシリンを作ったときの記録が残っています。

太平洋戦争末期、陸軍軍医学校の稲垣克彦軍医少佐が、潜水艦でドイツから運ばれた総説を入手したことをきっかけに開発が始まりました。
1944年2月1日に第1回ペニシリン委員会が開かれ、9ヵ月余りで国産ペニシリンの開発に成功しています日本化学会・認定化学遺産第065号)。

「ペニシリンかどうかは不明であった」

日本化学会の解説は、9月1日の第5回委員会についてこう書いています。

「ペニシリンと思われる抗菌性物質がアオカビから見つかった。しかし、それが『キーゼの総説』に記載されているペニシリンかどうかは不明であった」日本化学会・認定化学遺産第065号

高校生が「そのカビの種類を判断することはできなかった」と書いたのと、同じ場所です。
青カビから効くものは取れます。
しかし、それがペニシリンかどうかが分かりません。

開発の完成とされたのは、結晶にしたあとだった

ここを動かしたのが、梅澤純夫・梅澤濱夫の兄弟でした。

抗菌性物質を精製・結晶化したうえで、抗菌力測定と化学分析を行っています。
その結果、160〜320万倍希釈でブドウ球菌を阻止することと、分子式が総説に記載された分子式とほぼ一致することを、10月30日の第6回委員会で報告しました。
この解説は、これにより国産ペニシリン開発の完成をみるに至った、としています。

その分子式自体、当時は不完全だった

この解説の脚注に、こう書かれています。

「ハイルブロン博士が報告したとき(1942年)の化学分析では、まだ硫黄原子の存在は見いだされていなかった」

硫黄原子が確認されたのは1943年7月、ペニシリンの構造そのものが決まったのは1945年で、X線回折によるものでした。

1944年の日本が照合した相手の分子式は、その時点ではまだ完成していなかったことになります。

そのあとにも壁があった

森永食糧工業への依頼を経て12月10日に表面培養での液体抽出に初めて成功し、23日に精製ペニシリン溶液1.5Lが納められています。

大量生産が実現したのは戦後です。
GHQが招聘したテキサス大学のフォスター博士の指導のもと、東洋レーヨンが深部培養用タンクを自社開発し、1947年3月11日にフォスター博士立会いで日本初の深部培養による大量生産に成功しました。

では、江戸で足りなかったのは何か

1944年の日本と高校生が止まったのは、「これはペニシリンなのか」という問いの前でした。

ただし作中の仁は、自分が何を作ろうとしているのかを最初から知っています。
公式のあらすじも「ペニシリンの製造方法を思い出した」と書いています。
だとすれば、この問いは仁にとって壁になりません(筆者の判断)。

壁になるのは、その先です。

問い 答え
青カビから抗菌作用のある物質を取れるか 取れる(高校生が実証)
効くかどうかを見られるか 見られる(菌に垂らせばよい)
どれだけ効くのかを数字にできるか 1944年に数字が出たのは、精製・結晶化のあと(筆者の判断)
江戸時代にその手段があるか ない(筆者の判断)

※下2行は出典が直接述べていることではなく、上の2行から筆者が導いた判断です。

作中の仁に足りないのは、作る力でも、効くかどうかを見る目でもありません。
どれだけ効くのかを数字にする手段です。

1944年の梅澤兄弟は、160〜320万倍希釈でブドウ球菌を阻止する、という倍率まで出しました。

一方、高校生の報告書に出てくる強さの表現は「市販のペニシリンと同じような」「粉状の炭よりは弱い」「わずかながら…より強い抗菌作用が見られた」というものでした。
すべて、何かと比べた言い方です。
図の説明に出てくる倍率は、比較に並べられた「100倍のペニシリン希釈溶液」だけです。
自分たちが取り出した溶液が何倍まで薄めても効いたのか、という数字は書かれていません。

強さが分からなければ、何をどれだけ飲ませればいいかが決まりません。

作品自身も、そこを扱っている

第8話のあらすじには、仁友堂を開いた仁が「より薬効の強いペニシリンを作るために咲と日々実験を繰り返していた」とあり、さらに「従来のものより薬効の強いペニシリンを作るには莫大な金が必要」と書かれています(TBS公式・第八話)。

最初に作ったものが完成形ではなかった、という前提が作中にあるわけです。
これは1944年の記録が示す経過とも、報告書が「今後はペニシリンの純度を上げることについて考える」と結んでいることとも、方向が一致しています。

よくある質問

ペニシリンは青カビがあれば作れるのですか?

青カビが生えれば自動的にできるものではありません。
高校生の実験では、標準の寒天培地だと白色や黒色のカビが優勢になり、アオカビとみられるカビを増やせたのは専用に配合した培地でした(岐阜県立恵那高等学校 SSH研究報告書)。
狙った種類の青カビだけを生やす方法は、同じ報告書で今後の課題として残されています。

日本でペニシリンが作られたのはいつですか?

1944年です。
2月1日に第1回ペニシリン委員会が開かれ、10月30日の第6回委員会で梅澤兄弟が抗菌力と分子式を報告して開発の完成を見ています。
なお委員会での呼び名は、敵性語禁止により第8回ペニシリン委員会から「碧素」に変わっています(日本化学会・認定化学遺産第065号)。

作中のペニシリンの作り方は、どこで確認できますか?

TBS公式のあらすじには手順そのものは書かれていませんが、同じ公式サイトの現場レポートに「天然ペニシリンの抽出過程」として3ステップの説明があります(TBS公式・現場レポート)。
これを実際に試した記録が、岐阜県立恵那高等学校のSSH研究報告書です。
目的に「漫画『JIN-仁-』にある方法でペニシリンを抽出する」と明記したうえで、培養からろ過・分離・精製までの流れが記録されています。

まとめ

青カビから抗菌作用のある物質を取り出すところまでは、実際にできます。
高校生が、現代の試薬と器具を使って到達しています。

その高校生も、1944年の日本も、「これはペニシリンなのか」という問いの前でいったん足を止めました
日本がそこを越えられたのは、結晶にして測る手段があったからです。

作中の仁は、自分が何を作るのかを知っているので、この問いには止められません。
代わりに残るのが、作ったものがどれだけ効くのかを数字にできないという問題です。

江戸との本当の距離は、作れるかどうかではなく、作ったものの強さを測れるかどうかにあったことになります。

同じ作品の医学描写については、「胎児様腫瘍」という病名が存在しない件も出典にあたって整理しています。

2025年頃/集中して視聴(第1期・完結編とも)
記憶の鮮度:筋と場面をいくつか思い出せる程度
※筆者は医療従事者でも化学の専門家でもありません。医学・化学・史実に関する記述は、すべて出典にあたって確認したものです

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